エンディング・デザイン

このテキストは、2012年 9月16日に神戸市内のある教会で行われた修養会において講演をした際の原稿です。


「 エンディング・デザイン 」


  ◆ 「一休さん」の哲学

  ◆ 葬儀への関心事が変わってきた

  ◆ エンディングのステージと意思表明書類

    ・ステージT 終末期医療について
    ・ステージU〜V お葬式〜お墓や祭祀について
    ・ステージW 死後事務や相続について

  ◆ おわりに



(講演40分)


◆ 「一休さん」の哲学

 今から37年前の1975年、テレビで後に国民的アニメとして親しまれる「一休さん」が始まりました。皆さんの中にも、お子さんやお孫さんと一緒に見たことがあるという方もおられるでしょう。このお話は室町時代に京都で活躍した、一休宗純という実在の和尚さんがモデルになっていて、その幼少期を想像して創られたものです。アニメの中の一休さんは愛嬌のある小坊主さんで、得意の頓智でさまざまな難問を痛快に解決していきます。ところが実はモデルになった一休和尚は、髪も髭もぼうぼう、酒は飲む、肉は食う、女性と遊ぶなどという、可愛らしさとはほど遠い大変な「破戒僧」で、服装や言動も奇抜でいつも普通の人には思いもよらないことばかりしていたようです。しかしまたそんな見た目とは逆に非常に思慮が深く、独特の哲学をもって物事の本質を鋭く掴む人であったので、多くの民衆に慕われていたといいます。

 そんな人ですから、その言動について風変わりな言い伝えも多く残されています。例えば、一休和尚らしい代表的な話にこのようなものがあります。ある人が、何かしらめでたい日だったので、一休和尚に「和尚様、何かめでたい御言葉をください」とお願いしました。すると一休和尚、それに応えてこう言いました。「親が死ぬ、子が死ぬ、孫が死ぬ」「いやいや和尚様、めでたい言葉をお願いしたのに、そんなに死ぬ死ぬと言って、いったい何がめでたいんですか」とその人が文句を言うと、一休和尚はニヤッと笑って、「ではお前は、孫が死んで、その後に子が死んで、親が最後に死ぬというほうがいいかね。生まれた者は必ず死ぬのだから、それならば順番通りに死んでいくことがめでたいのではないかね」と答えたそうです。
 …なんか、頓智と屁理屈の違いって何?って言いたくなるような話ですが、それはまあさておきましょう。

 例えば一休和尚のように生や死に対してもある種、突き抜けた哲学を持っている人なら、生き方や死に方などというものも大した問題ではないのかもしれません。しかし私たちはなかなかここまで割り切った考え方はできませんし、またこんなご時世ですから現実に生きるにも死ぬにも心配事は尽きません。特に近年では日本は世界でもトップクラスの高齢大国になっていることもあって、巷では死と葬儀に対する関心が大きな高まりを見せていることは皆さんもご存じの通りです。そういえばアニメ一休さんの始まった頃にはこうも大っぴらに葬儀の話題など持ち出せない環境だったといいますから、時代の変化というのはすごいものですね。

◆ 葬儀への関心事が変わってきた

 ところで、しばらく前までは葬儀に対する関心事といえば、具体的には自分の親などが亡くなった時にどうするか、というものがほとんどでした。しかし近年ひときわ関心を集めているのは、ある人がその死にゆく当事者である場合に、自分自身の要望を終末期や葬儀、お墓などの事柄に反映させるにはどうしたらいいか、ということです。例えば「終末期に無理な延命処置はしてほしくない」とか、「自分の葬儀ではこういう演出をしてほしい」とか、「遺った財産はこういうふうに使ってほしい」とか、「遺骨はどこそこの海に撒いてほしい」などという希望を、周囲の遺される人たちにどのように伝えるか、ということです。

 これは比べてみると大きな変化です。これまでは葬儀というのは大抵遺った人たちが考えて、自分たちのやり方でやることでした。それが逆に近年では「葬儀はまず亡くなった本人の遺志を尊重して行うもの」という考え方が大勢を占めるようになってきているのです。このことは一面、特に我々クリスチャンからすると歓迎すべきことだと言われることもあります。例えば「本人はクリスチャンだけど、その家が伝統的に仏教だから、葬儀も仏教でされてしまった!」なんていう話も以前はよく聞かれましたが、近頃ではずいぶんと少なくなってきています。

 まあ、とは言っても、これで心配事は万事解決というわけでもありません。近頃は逆に遺された人たちの間で「亡くなったおばあちゃんはこう考えるに違いない!」とか、「い〜や、あの人はこう言ってた!」などというような意見の対立も目立ってきています。なにせその時になってからでは本人の意見を聞くことができないわけですから、どうやってそれを確認するかということが悩み所なのです。そこで最近では、自分の終末期や葬儀に関する希望を遺される人に伝えるための書類などが様々に考案され注目を集めていますので、今回はそれらをかいつまんでご紹介しましょう。

◆ エンディングのステージと意思表明書類

 さて、終末期や葬儀に関わると一口に言ってもその範囲は非常に広いものです。そこでまず、この範囲を4つのステージに分けてみます。

 1つめのステージは、高齢や傷病などで死期が近づいた頃です。一般に終末期などと呼ばれます。

 2つめのステージは亡くなってから一連のお葬式を行う間です。

 3つめはお葬式の後、納骨などを行い、その後の祭祀などについて決めていく頃です。なおこの「祭祀」という言葉は「死者や先祖を祀る」という意味で、具体的には子孫が仏壇を置いて拝んだり、地域単位でこれまでの死者たちを追悼する儀礼を行うことなどを指しています。例えば精霊流しなどが有名ですね。昔から言われる冠婚葬祭の「祭」とはこの「祭祀」のことです。ところがキリスト教では「死者を祀る」という考え方がありませんから、この「祭祀」という言葉をキリスト教葬儀で用いることは不適切であるという意見もまま聞かれます。しかし、祭祀という言葉は実は法律の上でも使われていて、そこでは「死者を祀る」という意味だけではなくもっと具体的に、例えば遺骨を扱うとか、お墓を引き継ぐとか、そういったことも含んでいます。ですからその一部はキリスト教葬儀といえども日本で行う以上はどうしても関係してくるものです。これを信仰論と実務論を切り分けて表現するのに適当な日本語を探すのも難しいので、ここで「祭祀」と言うときには「これらの観念のうちキリスト教葬儀に関わる一部のこと」と考えていただきたいと思います。

 最後の4つめのステージは、時系列ではなく性質の違いとして相続や死後の諸々の事務に関わることです。

◆ ステージT 終末期医療について

 それでは1つめのステージから順に見ていきましょう。死期が近づいてくると、病状によっては自分自身が意識を保ったり意思を表明したりすることが困難な場合が出てきます。そのような状況に陥ったときに、自分自身に対する医療をどのように行ってほしいかという希望を事前に書いておくことがあります。この書類は「リビングウィル」などと呼ばれます。書かれる内容の中心となるのは概ね、いわゆる延命治療などを行うかどうかという点です。生命が維持できる余地があるならば積極的に延命を行うか、あるいは行わないか、またどの程度の段階で緩和医療などに切り替えるか、ということです。ほかには心肺停止後の蘇生術を行うかどうかや、特定の薬品や療法を使う・使わないなどについても書く場合があります。
 これらのことはリビングウィルに限定した書類を作ることもありますし、この後で説明するいわゆるエンディングノートの中の一項目として記載する場合もあります。方法はどちらでも構わないのですが、いざという時にきちんと主治医などの手に届くようになっている必要があります。というのは、例えばエンディングノートに書いていると、亡くなってから葬儀のためにと思って家族が開いて、初めてリビングウィルが書かれていることに気付くなどということも起こりえるわけです。ですから、書いたものがあるなら、あるいは意思を表明したいなら、入院時に提示するなりあらかじめ家族に伝えておくなりしておいたほうがいいですね。

 ちなみにこのリビングウィルという言葉は、日本では日本尊厳死協会、昔でいう安楽死協会ですが、この団体が独自の「尊厳死の宣言書」という書類を早くからこの名前で呼んでいることから、一般にいわゆる尊厳死を要望する場合にのみ書く書類だと認識されていることが多いでしょう。しかしリビングウィルは全体としてはあくまでも本人が自分の医療についての希望を述べる書類ですから、例えば「自分は積極的に延命を希望する」という内容を書いても構わないということには注意しておく必要があります。そういえばちょうど今、「終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案」いわゆる「尊厳死法案」というものが議論されていますが、この法案に反対する人たちの中からは、こうして尊厳死が法制化され社会の風潮がそれに傾くことで、積極治療を望んでいる人たちが自分の意志を表明しづらい環境ができてしまうのではないか、という懸念も聞かれます。もしそうなると逆に今後、リビングウィルが積極治療の希望を表明することに特化した書類だと認識が変わっていくこともあるかもしれませんね。

◆ ステージU〜V お葬式〜お墓や祭祀について

 次にステージの2つめと3つめは、時がきて亡くなり、一連の葬儀を経て納骨などが終わるまでの間です。この間に起こる諸々のことについて希望を書き残しておく書類を、近頃では一般に「エンディングノート」と呼ぶことが浸透してきています。それまで、遺書や法的拘束力のない遺言などがこれに近いものでしたが、生きているうちから葬儀のことなどを考えたり書き残したりすることは縁起でもないと、それらはあまり肯定的には捉えられない風潮が強くありました。しかし先に述べたような近年の社会的ニーズの変化を受けてエンディングノートは流行し始め、今や書店の一角を占めるほどさまざまな種類のものが販売されるようにまでなっています。
 販売されているエンディングノートの内容は少しずつ違いますが、ブームに乗って種類が増えるにつれそれぞれが独自色を出して競争しようとするため、全体の傾向としては昔に比べて項目がどんどんと拡大しているように思えます。もともと中心となっていた自分のお葬式のやり方に関する希望もそれ自体ずいぶん細かいことまで書けるようになっていますし、そのほか散骨なども含めお墓や遺骨の扱いに関する希望、先ほど述べたリビングウィル、後に述べる相続に関する希望、ほかにも自分の略歴を書く欄や自分で選んだ遺影の原稿を貼付する欄があったり、これまでの思い出や遺された人へのメッセージを書く欄があるなど、非常に多岐にわたっています。
 実はこのことも善し悪しで、書く人にとってはノートの選択の幅が増える一方で、「項目があったら全部埋めないといけないんじゃないか」というように無駄にプレッシャーを感じたり、項目が多すぎて一番伝えたいことがぼやけてしまうなどの弊害が指摘されることもあります。そのため逆にシンプルさを売りにした商品が考案されたりもして、現在ちょっとこの市場は迷走しているような印象を私は受けています。実際のところ、原点に返ればただのノートに自分にとって必要な内容を書くだけでもいいわけですから、市販のエンディングノートは内容の参考程度と考えておいたほうがいいかもしれませんね。
 またリビングウィルと同じように、書く内容以上に特に重要なことは、書いたことがそれを伝えたい人に必要なタイミングで間違いなく届いているということです。時々エンディングノートを書き終わったことでもう安心しきってしまう人がいますけれど、その存在を必要な人にきちんと伝えるところまでがエンディングノートの作成です。さらに言えば、単に自分の希望だけを一方的に書き残すのではなく、その内容を実行するであろう相手と一緒に相談しながら書いていくというのが本当は一番良いことなのではないかと私は思っています。

◆ ステージW 死後事務や相続について

 さて最後の4つめのステージは、お葬式などが終わった後、相続などを行うときです。ここで用いられる書類が、死後に自分の意志を示すもっとも代表的な書類である遺言です。「遺言」は一般的には「ゆいごん」と読み、亡くなった人が言い残したり書き残したりしたすべての事柄をまとめて言います。しかし法律事務ではこれを「いごん」と読み、法律に定められた方式で書かれた有効な意思表明のことだけを言います。
 有効とされる遺言の具体的な方式は民法に細か〜く定められています。あんまり細かいのでここでは説明しませんが、自分で書いて遺す方法もありますし、公的機関に依頼して公正証書という書類を有料で作る方法もあります。また書いて有効になる内容もだいたい決まっています。一番代表的なのは財産相続に関係することとか、遺贈といって相続人でない人に金品をあげるといかいう内容ですが、ほかにも例えば認知に関すること、つまり「実は隠し子がいるんです!」というやつですね、それとか祭祀に関わること、つまりお墓や仏壇などを誰に引き継いでもらうかなどということなどが有効です。ちなみに決まりにないことを遺言に書いていてもいいんですが、その部分に関しては法的な有効性はないので、執行に当たってはその部分は無視されます。

 遺言はエンディングノートなどと違って法的な後ろ盾があるので相続などのトラブルを解決するためには有用なこともありますが、作成に当たっては注意しないといけないこともあります。まず方式を間違うと有効でないとされる場合があるため、十分な知識を持つかお金を払って専門家に依頼したほうがよく、エンディングノートなどのように気軽には書けないということ。また公正証書でない遺言は本人が実際に亡くなって裁判所の検認を受けてからでないと開けられないので、事前に内容を他の人が確認できません。そのためエンディングノートのように自分の葬儀に関する希望を書いていたとしても、法的有効性以前の問題として葬儀が終わってからしか開封されない可能性が高いということもあります。ですから遺言を作る必要があるなら原則、法的に有効なことだけを公正証書で作るというのが現実的で、そのほかのことはエンディングノートなどを併用して周りの人に希望を伝えられるようにしておいたほうがいいでしょうね。またほかの書類同様、遺言が存在していること自体を周りの人がわからないということがないように、事前に遺言があることを伝えておくなり、死後事務手続をする中で確実に見られる場所に置いておくなりすることが重要です。例えば銀行の貸金庫の中などにしまっていても、その貸金庫の存在を家族が知らないというようなことも実際にありますから、十分に気をつけてください。

◆ おわりに

 さて、これで全部のステージをざっくり追ってきました。皆さん自身が書いておきたいと思った書類もあったかもしれませんね。

 ところで件の一休和尚ですが、ご紹介したようなユニークな哲学を持った彼自身が死ぬ前に、最後に言った言葉は何だったでしょう。言い伝えでは、彼が死ぬ前に言った最後の言葉はひとこと「死にとうない」だったそうです。なんだか当たり前すぎて逆に意外ですね。
 この言葉を聞いただけだと、まるで一休和尚が自分が死ぬ番になったら狼狽えて駄々をこねているようにも聞こえますね。けれども私はそうではなかったんじゃないかと思います。「人間はどうしたって時がくれば死ぬんだ、だから自分が死んだ後のことまでそんなに難しく考えるな。たとえもう今にも死にそうだとしても、生きている間はそのぎりぎりまで、ただ生きることばかりを考えていればいいんだ。人間としてあるがままに生きて、あるがままに死ぬ、それでいいじゃないか…」と、私には一休和尚がそのように言っているようにも聞こえるのです。聖書にも「思い悩むな、思い悩んだからといって寿命をわずかでも延ばすことができようか」(マタ6:27)などとも書かれていますしね。
 ですから今日はこうして関心の集まっている自分の意志を表明する書類をご紹介しましたが、だからといって正直なところ自分の死や葬儀のことをそんなに難しく考え過ぎる必要はないんじゃないかと思います。近頃のテレビや雑誌ではよく流行に乗ってこれらの書類を「みんなぜひ書きましょう、書かないといけませんよ」などと追い立てるように言っていることがありますけど、昔のように「まあ遺った人たちがいいようにしてくれるだろう」と信じて委ねていくというのもひとつの方法としていいんじゃないかと私自身は思っていたりもするのです。

 けれどももし、皆さんが自分の葬儀に関してああしたい、こうしたいという希望を持っていらっしゃるのなら、それを周りの人たちにわかりやすく伝える方法としてこういった書類もありますので、ぜひ活用を考えてみていただければと思います。また単に意志を表明するということだけでなく、書いているうちに自分の人生の思い出を再確認したり、大切な人に伝えたいことが思い浮かんでくるかもしれませんね。
 そしてどちらにしろ、自分に残された日が1日なのか何十年なのか私たちにはわかりませんが、その時がくるまで毎日を大切に生きていきたいですね。


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