エンディング・デザイン

このテキストは、2013年 9月15日に神戸市内のある教会で行われた修養会において講演をした際の原稿です。


「 あなたの遺すもの 」


 昨年に引き続き、修養会にお招きいただきありがとうございます。(敬老の日前日でしたので)敬老の日を前にして葬儀の話なんかいいのかな、とも思いましたが、敬老の日自体、家族がお互いを想い合う日であるとするなら、また葬儀の話を通しても同じように家族がお互いを想い合う切っ掛けとなればと願っています。

 さて、前回は「エンディング・デザイン」という題で、主に終末期から葬儀後までの各ステージで自分の考えや思いを家族などに伝えようとする時に、近年活用されている書類などについてお話ししました。今回は「あなたの遺すもの」と題してお話をさせていただこうと思って予告していたのですが、実は話の内容を考える上でずいぶんと予想外の紆余曲折がありまして…
 そもそも、このご依頼をいただいた折に、先生に「今、教会員さんの間で特に話題になっていることや、皆さんが訊きたいと思っていることはありませんか?」とうかがったんです。すると「前回は考えや思いを遺すということでしたけれど、他にも具体的に物や形として何を遺すか、また遺さないか、というようなことが気になっているんじゃないでしょうか」ということでした。

 なるほど、じゃあその方向で何か話題を探してみようと思っていると、たまたまある男性からのご質問がありまして、「自分が死んだ後、何を遺すべきか迷っています」と仰います。おおこれは渡りに船、いわゆる現預金や不動産などの遺産の話か、生命保険や葬儀費用の積立の話か、お葬式で会葬者に配ってほしい物やお墓の生前建立か、はたまた遺品整理の話か…いやいや、大体にしてこういう質問をするってことは、何かご本人の中で具体的にこれをどうしようかっていう対象があるはずだから、まずはそれを訊いてみよう、と。
「それで、どういったものをお考えですか?」
「ええ、実は昔、妻以外の女性からもらった手紙や思い出の品が残っていまして、それを処分したほうがいいのかと…」
「…はい?」

 まあしかし、そりゃそういうこともあるでしょうね。なかなか捨てにくいもんだと思います。いや分かりますよ…と、せっかくだからそういう話をしようと思って、まずプロットを作ったんです。ところが、周りの人に意見を聞いたら、それが女性陣から大不評でして。「いや、なんで遺すの。だいだい、なんでそんなもん持ってるの。遺すか遺さないかなんて迷っている時点であり得ない」と散々だったわけです。一番好意的な意見でも、「べつに遺していても怒りはしないけど、置いときたいという気持ちは分からない」というものでした。しかもこれ、昨年末に結婚したところのウチの妻ですから、まだちょっと遠慮して言っただけかもしれません。
 さらにそう思うなら私も黙ってればいいのに、つい「いや、女性だって昔の恋人からもらったアクセサリーなんかを持ってたりするんじゃないの?」と訊いてしまうんですね。すると、「宝石や貴金属に罪はない。気に入っているのがあれば使うし。けど手紙はどうなの。それをいつか取り出してきて読み返すの?そうして、昔は良かったとか思うわけ?」と返されて、もうなんか「あ、ハイ、そうですね、スミマセン」としか言いようがないわけですよ(;´Д`)

 とにかくそんなに不評ならこの話はダメだ、振り出しに戻っちゃったなぁ…と頭を抱えていた頃、これまたたまたま、昔お世話になった、今は高齢で半分隠退なさっている男性牧師からお手紙を頂きまして、妻の紹介も兼ねて二人してご挨拶に伺うことになりました。訪問すると、始めのうちは「いい奥さんで良かったねぇ、これから長いんだから、まあ仲良くやんなさい」というような話をしていたんですが、そこは牧師と葬儀屋ですから、だんだんと「それで、最近の葬儀事情は…」なんていう話に流れていくわけです。それで死や葬儀の話をするうちに、この先生は十数年前に奥様を亡くされているので、その頃から今に至るまでの自分の心境の変化などについても話してくださって、私も興味深く聴いていました。すると、先生が思い出したようにこう仰るんです。
「実は未だにひとつ、どう思いを巡らせても不可解なことがあってね」
「どんなことでしょう」
「妻の死後、遺品を整理していたんだけれど、ひとつも見つからないんだよ。昔、私が出した恋文なんかの類が…」

 つまり、前の質問とは逆パターンで、あるはずだと思ってた物がない、というわけですね。しかしまあ、なんで無いんだろう、なんて訊かれても当然私に判るはずもありません。
「え、あ、はあ、それはお寂しいことですね」
「うん。これは君、ミステリーだよ」
「それで、先生はそのミステリーの解は何だと思うんですか?」
「そうだねぇ…例えばもし、私がその後再婚でもすることになった時に、障害にならないようにとでも思って処分したんじゃないかと想像はするんだがね」
(あれ?先生が奥様を亡くされたのは、確か60代のはず…あれー?若いなぁ…汗)と思ったのはまあさておきます。

 そこで、先生はウチの妻にも「あなたはどう思いますか。同じ女性の意見として」と訊きます。妻はしばらく考えて、言葉を選ぶように答えました。
「女性がみんなそうかは判りませんが、私も残さないと思います。けれどもそれは、夫の将来を慮ってなどということではありません。私はワガママですから、自分だけがそれを持っていればいいと思うからです。物を遺せばそれが誰かのものになってしまうかもしれません。けれど、自分の中にだけ残した思い出は、自分だけが全部持って行けるからです」

 こう聞いて、私はなるほど、とえらく納得しました。第二コリントに「わたしたちは見るものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです」という箇所がありますが、ふとそれを連想して、確かにこれが世間一般の女性的な感覚なのか、妻の独特な感覚なのかは判らないけれど、面白いことを言うなぁと感心していました。

 そしてまた、こうも思ったのです。もし、今日この話を聴いていなかったとすれば、仮に妻が先に死んだ時に、私のあげたものが遺って無かったら、果たして私は妻がこんなことを思っていたと考えただろうか。それとも、先生と同じようにミステリーだと思って悩んでいただろうか…と。そうすると、何を遺しても、何を遺さなくても、そのことに込めた想いがなんであるかを解釈するのは、遺された人でしかないんじゃなかろうか。しかしその解釈にしても、相手をじっくり観察していれば判ることもあれば、こうして聴いてみないと判らないこともあります。そして、それを聴けるのは生きている間だけです。

 詰まるところ、具体的に何を遺したから、また遺さなかったからどう思われる、ということではなく、そこに遺っているのは、遺していく人と遺された人の生前のその本人たちの関係性でしなかいのではないでしょうか。同じものを遺しても、生前から仲の良かった人同士ではそこに込められた想いを良いものと解釈するでしょうし、仲の悪かった人同士では悪いものと解釈する可能性もあるわけです。そしてまた、その二人の関係性というものは、その当人たちに固有のもので、他人がおいそれと理解できるものでもないのだと思います。

 こう考えて、私は冒頭のご質問の男性に改めて回答をしました。
「その遺そうとしているものを、生きている間にあなたが奥様に見せても大丈夫なら、遺しておいてもいいでしょう。しかし、もし生きている間に奥様に見せると大変なことになると思われるなら、処分しておいた方がいいと思います」
 結局もう、それ以上でもそれ以下でもないんだと思います。そしてそれはまた、生前から相手のことを慮って良好な関係を築くよう努めていれば、悩まなくても自然に遺るべきものは遺るし、遺るべきでないものは遺らない、とそうなるはずのものなのかもしれません。それも、その日がいつ来るのか、誰が先かは私たちには判らないのですから、これはもう、誰もがお互いに、毎日をそのように心がけて生きていかないといけないと、そういうことなのでしょう。

 まあもちろんこれは、まず自分自身に言い聞かせないといけないことなんですけどね。原稿を書き上げて、妻に「書けたよ!」と見せに行ったら、「ほほぅ…ずいぶん立派な風なことを書いてるけど、あなた確か、実家の衣装ケースの奥に、昔の彼女からもらった手編みのマフラーなんかが入ってたはずよねぇ。やっと処分する気になったのかしら…」とジト目で睨まれて、危うく石になるかと思いましたよ…皆さんも何か思い当たることがあれば、お気を付けくださいね〜


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