40年前(昭和45年頃)の葬儀の「常識」


▽ はじめに

 実家の本棚から、昭和45年(1970年)発行の「慶・弔・書式の心得」(山際よし子著、池田書店)という本が出てきた。亡き祖父母が購入したものと思われる。発行から40年、まったく物持ちの良い家である(まるで他人事)。
 近年の葬儀文化の移り変わりは激しいと言われるが、では40年前とはどれほど変わったのだろうか。この本が時代のスタンダードであったかどうかは疑わしい(著者をネットで検索しても出てこないから権威のほどはわからない)が、一般的な家庭における情報として現代と比較・考察してみたい。

▽ さらっと読んで気になった点を抜粋

喪主の決定 喪主は、法律上の相続人がなるのが常識です。故人に子があるときは長男が、長男がいないときには、二男、三男とひきつぎます。男子がいないときは女子でもさしつかえありません。子のない場合は妻が喪主となり、妻子がいない場合は親で、父か母です。それもいないときは兄弟姉妹でしょう。

 突端から面白い。著者は紹介文で「家庭を開放して、若い人々の恋愛、結婚人生問題などの相談に応じているという、密度の濃い知性と、ものわかりの良さと、優しい情感の持ち主」と評されている。リベラリストと見えるそんな彼女をしてなお、「喪主は長男」と言うのだから。
 現代の日本の常識では法律上の相続人のうち最も重要視されているのは配偶者である。現在の民法は明治からベースが変わっていないから、この当時も法律上はそうであったろう。
 いや、重要なのは民法において「財産の相続人」と「祭祀の承継者」が必ずしも同じでない点である。つまりこの著述の注目点は第一文「法律上の相続人がなるのが常識」の部分である。家制度を廃止した明治29年(1896年)の民法改正から74年が過ぎたこの頃においても、長男が財産及び祭祀を引き継ぐという感覚は日本社会に色濃く残っていたのであろう。

死亡届と埋葬許可書 家族が死亡したとき(…略…)死亡した場所の区役所、または市区町村役場に死亡届を出します。そして埋葬許可書をもらいます。埋葬許可証がなければ絶対に火葬も埋葬もできません。ですから病院で死んだ場合は、医師の所在地の役所に死亡届を提出しなければなりません。

 提出場所の誤りについてはこの著者は葬儀のプロフェッショナルではないから法律手続の詳細がわからないのもむりはないし、「書」と「証」の誤植なども編集者の責任でもあろう。注目したいのは「埋葬許可証」という語はあるのに「火葬許可証」という語が見あたらない点である。
 火葬という語はある。著者は東京人であるから、周辺ではむしろ火葬のほうがメジャーであったろう。昭和45年の全国における火葬率は約79%であるから、全国的に見ても火葬が多くなっている時代である。にもかかわらず現在では先に現れるはずの「火葬許可証」ではなく「埋葬許可証」とだけ述べている。著者のそれまでの人生が、日本が火葬大国に移り変わる過渡期にあたり、われわれ現代の若年のように「火葬が当たり前」という感覚ではなかったと推測できるのが興味深い。

葬儀社の仕事の範囲 以前よりも社会の仕事が一般的に分業化したためか、葬儀社は葬儀関係のことについて、一切の相談に乗ってくれると思って間違いありません。

 折しもこの直前、昭和43年(1968年)は全葬連が「葬祭業はサービス業である」と標榜し始めた年である。とはいえこの後に続く具体例には物販と施行、手続等が羅列されるのみで、現在注目されているグリーフケアなどについては当然に述べられていない。
 それでもあえて「一切の相談に乗ってくれると思って間違いありません」と述べるあたり、「それ以前はそうではなかったが」ということであるように受け取れる。以前は社会が分業化していなかった、つまりは地域コミュニティがトータルに生活を支えていた、ということなのだろう。

関係先への通知 [死亡通知の文例](…略…)なお、お供物、花輪は本人の遺志により、ご辞退いたします。

 おや?と思った。現在は少し拡大を見せているが、ここしばらく香典辞退は関西圏特有の流行だと言われていた。関東圏では辞退すると怒られるとまで聞かれる。
 確かにここでは香典については触れられていないから、受けたのかもしれない。それでもあえて文例として載せるあたり、供物の辞退はけして稀なことではなかったのだろうか。

通夜の準備 遺族や、特に親しかった人たちが、最後の夜を共にし、故人をしのぶという意味で通夜をするのですが(…略…)一般の人は半通夜といって、早いうちの二時間ぐらい、七時から九時ごろまで、通夜に参加するのがエチケットとされているようです。

 この当時、まだ通夜は現在のように告別式化していないようだ。いや、まだ極端ではなかった、と言うべきかもしれないが。少なくとも著者は通夜に「参列する」ではなく「参加する」と述べている。これは通夜を式典ではなく時空間として捉えているためではないかと推測できる。

会場の整備 自宅を葬儀の場所として選べれば一番よいのですが、あまり狭すぎて不適当であったり、交通の便が悪かったり、車の駐車もできないような場合は、会葬者の便利を考えて、葬儀・告別式を寺院か、他の斉場ですることになります。(…略…)参列者が多く、焼香に長い時間がかかると予想されるときは、香炉をふやして、早く済むように準備しておきます。冬のきびしい寒さの中に、夏のはげしい暑さの中に、参列者を長く待たせることは、どちらもエチケットに反することです。

 日本が会館ラッシュを迎えるのは昭和60年代、まだ15年は待たなければならない。主流はいまだ自宅であったようだが、都市部では住宅の手狭感が増してきていることが推測できる文章である。同時に述べられる「会葬者の利便性」の要求が、会葬者数の増大と相まって会館ラッシュへの原動力となったのであろう。

葬儀・告別式次第 (…略…)[葬儀式次第][告別式次第]

 葬儀と告別式は丁寧に分けられている。式次第も連続しているが葬儀式次第、告別式次第とブロック分けされている。これが当時の一般的な感覚かは定かではないが、少なくともこの後、会館化や大型化などの変化も相まって、全体をして「告別式」と捉える向きが加速したことは間違いないだろう。
 なお文中に「葬儀(通夜でなく当日、の意)には、遺族、近親者、特別関係者は必ず参列します」という文言がある。著者が現代の事情を見ればどう思うのだろうか。

出棺式 (…略…)霊柩車までは戸外で待っている手伝いの人が運び、足の方から中に入れます。(…略…)

 足から入れる理由は、火葬場で台車上に出すとき頭が進行方向に向くからであろう。しかし現在ではほとんど見られず、霊柩車には頭から入れることが一般的である(地域によるかもしれないが)。考えられる変化としては、火葬場の設備が近代化し電動式台車が導入されるなど転回に難がなくなったことなどがあろうか。

不祝儀の心付けは(…略…)一般的なしきたりというものがありましょう。相談の上、手落ちなくしておきます。

 東京では現在でも、民間火葬場では寸志を受け取るようだ。いや、批判ではなく。全国的には消えていった「文化」のひとつである。

前夜式 (…略…)霊前に、白ゆりや淡色のカーネーションなどを献花し(…略…)

 日本式儀礼献花は昭和初期に発祥したのではないかと推測できるが、明確な資料はない。少なくともこの頃にはごく自然と受け止められていたようである。
 カーネーションの色は淡色と言うからには白にこだわっていなかったのだろう。むしろこの後、葬儀社の主導性が高まる中で白に統一されていったのではなかろうか。

無宗教によるもの 日本人の結婚式の八割は神前結婚で、葬儀の八割は仏式によるものといわれています。(…略…)

 キリスト教風結婚式がブームになる前なのか。このあたりは生まれていないからよくわからないが。時代を感じる。
 それはともかく、無宗教葬という発想はこの頃にもある。次の項では「音楽葬」という語も用いられているから、これらはけして近代に突然現れたものではないようだ。

初七日・十日祭などの営み (…略…)最初の日を初七日といい(…略…)

 ごく一般的なことが述べられている。その逆、当日初七日などは発想の痕跡も見られない。ただ満中陰に関しては「三十五日か四十九日」と幅を許容している。
 東京では初七日がとうとう出棺前にまで繰り上がってきているらしい。そんなにムリしてまでやらなくてもいいのではないかと思うが、「すべてやった」ということに満足する人もいるのだろう。

香典返し (…略…)布団がわ、敷布、タオル、ふろしき、石鹸、茶は普通に選ばれるようですが、塗物、陶器類などの既製の気のきいたものもあります。(…略…)

 40年経っても品種の悩みはあまり変わらないらしい。チョイスギフトが出てきただけ進化か。

葬儀社料金 (…略…)予算に応じて、ざっくばらんに葬儀社に話して相談し、決めればよいわけです。ただ契約した内容をよく知っておかないと、あとから予算には組んでいなかった物入りが出てきて、別途請求されたりしますから、そのことを頭において考える必要があります。

 時代は変わっても人はそう変わらない。これは悪い方の例であろうか。一般人が「葬式のことはわからない」のは、けして今の時代に限ったことではない。

▽ 金額へ言及している部分

死亡診断書 … 500円以上

普通電報 … 東京23区内は10字まで30円、5字増すごとに7円増、23区以外は同60円/10円増
至急電報 … 普通電報の倍額

葬儀のための臨時電話架設 … 工事代金3,200円、基本料金1日220円、保証金50,000円
自宅に電話がないケースが稀と言えない程度にあったようだ。

死亡広告 … 毎日、朝日、読売の順に高くなり、1cm×1段が12,600〜16,800円
以降面積比例だが「最低2cm×2段(50,400〜67,200円)は必要」などと書かれている。

死亡通知状・礼状など … 100枚で800円ぐらいから、封筒付きは100枚1組で1,300円から

通夜のお布施 … 謝礼5,000円程度と車代1,000円ぐらい、食事を供するればお膳料はいらない

通夜の食事 … すしは1人当り100円見当、おつまみは400〜500円もあればよい

▽ ある葬儀社の場合

 寝棺、納棺用付帯品、棺覆、霊前祭壇用品、祭壇飾付道具、祭壇室装飾、告別式用焼香具、記録帳および各はり紙、霊柩自動車、火葬費、納骨容器、設備および管理費、運搬費(がセットに含まれる)

デラックス一号 800,000円
デラックス二号 500,000円
特号 350,000円
一号 250,000円
二号 200,000円
(…略…)
九号 30,000円
特別奉仕 8,000円

 デラックスでも普通の号級でも、含んでいる内容、種類は同じですが、祭壇の壇数、質、霊柩車から火葬まで、すべて違ってきます。九号三万円の場合は祭壇は三段です。


 至ってまじめに書かれている。失礼ながら「デラックス一号」には笑ってしまった。

 二号・二十万円級のものは

寝棺 モミの八分板六尺×高さ一尺二寸
付属品 経帷子、編笠、杖、数珠、草履、本絹布団一組
棺覆 金ランのがらもの
祭壇 白木彫刻の五段
付属品 写真台、位牌厨子、行燈、蓮華、香炉、線香、ローソク
霊柩車 上等の宮型(自宅から火葬場まで)
火葬 最上等のカマ
容器 骨壺、骨箱、おおい風呂敷
その他 香典帳、芳名簿、車券、忌中紙


 デラックス50万円のものは棺が「檜一寸二分板」、経帷子「本絹使用」、火葬場「特別級」、霊柩車「白木の特級」などに変わるのだそうだ。「一般の中流家庭では12万〜20万ぐらいを選ぶ人が多いようだ」と書き添えられている。

 なおドライアイスは「必要なときがある」と書かれているため、使用は常態的ではなかったようだ。「処置料として一昼夜分、冬期2,100円から」だという。
 写真は「複製、引き伸し、額縁リボンは、一組三千円から」などと書かれている。

 供花などについても言及されているが、割愛する。

 霊柩車10kmまで、A級(白木宮型高級車)8,400円・超過1km毎100円加算、B級(宮型の上級車)2,800円・超過同じ、C級(寝台型普通車)1,900円・超過1km毎50円加算。移送用の寝台車は基本1,000円とのこと。

 都内の民営火葬場は大人料金が中等2,300円〜特別室30,000の範囲である。休憩室は別料金で500円〜1,500円程とのこと。

▽ お布施の額

 僧侶は自宅葬で2〜3名、斎場で3〜5名が来ることが普通だったようである。東京だけかもしれないが。お布施はおよそ一人1万円見当、戒名料は信士1万円〜大居士10万円以上などとなっている。通夜の分は前述のように別のようだ。

▽ おわりに

 つい長くなってしまった。この後墓地・墓石や仏壇などに関する情報もあるが、あまり意味がなさそうなので割愛する。
 こうして見てみると葬式は変わっているとも変わっていないとも言える。貨幣価値はずいぶん変わっているが。それでも、続く参列マナー編などを見ると「参列すべきかすべきでないか」「香典の金額は」など、一般の興味はほとんど変わっていないことにも気付く。

 さて、これらのことから読み取るべきことはなんであろうか。世の煩いなど、渦中にいるときが一番大層に思えるものだろうか。明日は明日の葬送がある。


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