棺と遺影の配置 [2008年頃(CCFI以前)]


▽ はじめに

 私たちは教会で施行する際、もちろんその教会と牧師の考えや習慣に従って準備をする。 しかし、特に小規模教会では葬儀の回数が少ないため、習慣が成り立っていない場合も多くある。 さらに式場のレイアウトなどは各教会の礼拝堂の形などに左右され、一定の規則がないため迷うことも多いようだ。

 例えば、「先生、柩の向きはどちらにしますか?」と訊ねると、実感としては4分の1の牧師は「こっち」と言い、さらに4分の1の牧師は「どっちでも」と言い、残りの2分の1の牧師は困った顔をする。
 考えてみれば当然のことだが、日常で「柩の向きは…」などと考えている人はほとんどいないのであって、特に神学校を出たての牧師などからすればほぼ間違いなく「想定外の質問」であろう。 また、年に1回程度しかない葬儀であれば、前回の柩の向きなどよほど意識していなければ覚えていないようだ。

 もちろん私たちはキリスト教葬儀社であるから、これらのことを承知しており、明確な回答が無いことも想定して質問している。 「特にご意見がないようでしたら、こちら向きでいいですか?」という提案は持ちながら、牧師の意見をうかがうのである。
 しかし、これが教会員や遺族、また一般の葬儀社が訊ねる場合は、牧師からの明確な回答を求めていることが多く、答え方によっては相手に頼りなく思われてしまうという悩みを聞くこともままある。

 そこで今回は、回答に迷いやすい「柩と遺影の配置」について、実地からの解説をしてみたい。
 なお、あらかじめ言っておくが、結論としてはこの二点に関して「キリスト教ではこうだ」という統一的な決まりはないので、誤解のないように願いたい。 あくまでも回答のヒントとして、実例と、「あえて理由をつけるなら」ということが主題である。

▽ 柩の位置

 まず、棺を式場内のどこに配置するかであるが、多くの場合、正面の「中央(@〜C)」である。 これは理由をつけるまでもなく、故人が葬儀の「主役のひとり」であるからだ。
※ 故人は葬儀の「主役のひとり」であって、「ただひとりの主役」ではない。念のため。
 しかし、「キリスト教葬儀の中核は神への礼拝である」ことを堅守し、棺を「脇(DE)」に置くケースも皆無ではない。

 中央に置く場合でも、故人(と遺族、会葬者の気持ち)を尊重して「壇上(BC)」に置くか、礼拝の意義が薄れることを避けるため「壇下(@A)」に置くかは意見が分かれる。
※ なお当然のことだが、壇上の中央に説教台がある場合は、物理的に壇上には置けないこともある。

 また、棺を「横向き(@BD)」に置くか「縦向き(ACE)」に置くかも意見が分かれる。
 ルーテル教会などでは縦向きに置くことが多い(理由は後述)が、そもそも縦向きに置くためには相応のスペースが必要であるため、物理的に横向きにしか置けないことも多い。



▽ 慣習

 さて、始めに例に挙げた棺の向きであるが、その前に少し考えてみてほしい。
 「棺の向きは?」と聞かれると確かに悩むかもしれないが、「遺体の頭はどちら向き?」と聞かれると、反射的に「北向き」と答える人も多いのではないだろうか。 「遺体の頭が北向き」というのは、仏教文化の影響であり、日本における葬儀の多くが仏教で営まれていることから、社会でよく耳にするうちにそう覚えているのである。
 そもそもの理由は、釈迦が入滅(死亡)したとき、「頭北西面」つまり頭が北向きで顔が西(西方浄土の方角)向きに寝ていたという伝承に基づく。 ここから、釈迦にあやかるために同じように頭を北に向けるという慣習が生まれたと言われている。
※ 生きている人が北枕で寝てはいけないというのは、死者と同じようにすることは縁起が悪いという理由である。
 ただし、遺体が南北方向に寝かせられている場合は上記の通りだが、東西方向に寝かせられている場合は(西方浄土に足を向けてはいけないため)頭は西向きと言われている。

▽ 棺の向き

 ではキリスト教葬ではどうすればよいのか。
 ひとつの回答としては、やはり「北向き」にすることである。 理由は、「日本人の慣習に従って」で十分であろう。 キリスト教葬だからといって、会葬者がすべてキリスト教徒ということは稀であるから、中には棺の頭が北向きでないことに落ち着かない人もいるのである。
 次に多く聞く回答は、「右向き」であろうか。 これも、「右手が上手であるから」という理由であることが多い。
 現実的な意見としては、「礼拝堂の出口向き(退場ルート向き)」というものもある。 会葬者が献花をして退場する際、故人の顔側を経由して退場するためだ。

 上記は棺を横向きに置いた場合のことであるが、縦向きに置いた場合はどうか。
 これはひとつの「有力とされている説」がある。 それは、「信徒の場合は足が正面向き、頭が会衆向き」「牧師の場合は頭が正面向き、足が会衆向き」というものである。
 理由は、「そのまま起きあがったときに、いつもの礼拝での向きと同じになるから」である。 なお、この理由があまりに有名なため、他の理由はあまり聞いたことがない。
※ ところが先日、岡田守生氏がこの点について、「海外のカトリック葬儀では棺を縦に置く場合に頭を前方に向けているようであるし、感覚的にはその方が自然な気がする。これが日本独自の風習だとすると、キリシタン迫害時期において行われた彼らの隠れた抵抗の痕跡に、後から意味付けされたものではないだろうかとも思える」と仰っていた。非常に興味深い話である。[2012年1月追記]
※ その後、上記注釈についてある教職者から「海外でも棺を縦に置く場合に足を前方に向ける例は多数あって、日本独自の習慣とするのは誤りである」とのご指摘をいただきました。情報のご提供に感謝いたします。[2017年1月追記]

 余談だが、仏教葬では棺を縦に置く場合(お別れの時など)、頭は必ず祭壇側に向ける。 なぜなら、そこには本尊(仏像や掛け軸)があり、それに足を向けてはいけないからである。

▽ 遺影の位置

 棺の位置に比べれば、遺影写真の位置は選択肢が少ない。
 大別して、「棺の後ろ中央(@)」に置くか、「棺の脇(A)」に置くかである。

 この選択についても、棺と同様に故人を尊重して中央に置くか、礼拝の意義を堅守して脇に置くかがまず第一の理由となる。
 また実際面では、説教台が中央にある場合、遺影も中央に置くと牧師と重なってしまうため、脇に置くということもある。
 なお、棺の脇に置く場合は、棺の頭側に置くのが基本である。



 自宅葬などで、遺影写真を引き伸ばさずにスナップ写真などをそのまま飾る場合には、棺の上や献花台の上などに置くこともある(図の緑の箇所など)。 この時は、遺影を棺の頭側に置いてしまうと、棺のふたを開けられなかったり、故人の顔を見るのに邪魔になる場合もあるので、足側に置くことも多い。

▽ 特殊な配置

 最後に、少し変わった配置を一点紹介しておきたい。
 これは、昨今増加傾向にあるいわゆる「家族葬」と呼ばれる小規模葬の場合の配置のひとつである。



 この配置では、遺族と遺体の距離が近く、また皆で故人を囲んで送るというイメージが、グリーフワークに好影響を与える場合があるということが注目に値する。なおこの場合、棺の頭は先ほどの解説とは逆に説教者側(図では上側)に向ける方がよいのではないか。というのも、頭が遺族側では礼拝中に棺の縁で遺族から故人の顔が見えないために、せっかく親しく棺を囲んでいる意義が薄くなるのである。

▽ おわりに

 このように、棺と遺影だけ取ってもさまざまに意見の違いはあるが、もちろんどれが正解とは(少なくとも葬儀社の立場からは)言い難い。
 しかし、悲しみの内にある遺族がこれらのことについて訊ねる時に求めているのは、多くは安心感や(葬送の)充足感である。 そのため、「決まりはありませんよ」と言うよりも、、何らかの理由を併せて「こうですよ」と言ってあげる方が、遺族の心情にとっては良い場合も多々ある。
 ささやかではあるが、参考になれば幸いである。


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