誤りやすい墓埋法理解


※ このテキストは10/02/11にアップした『間違えやすい実務知識』(カテゴリ:実務と法)に新たな設題を加筆したものです。

▽ はじめに

 近年、葬儀に関する情報がテレビや雑誌、インターネットなどでも多く取り上げられるようになったことは、一面喜ばしいことである。
 しかし、どうにも情報が正確さを欠くことがしばしば見受けられる。確かに、葬儀業界はいまだ閉鎖的な業界であって、業に関する情報であればその実態をつかむことは困難かもしれない。しかしそういった情報については、推測であると付記されているか、もともと触れられないことが多いのであって、往々にして「自信を持って」間違っているのは法令などを少し調べればすぐに判明する事柄や、地域風俗など普遍性のない事柄をさも「常識」のように誇張するといった誤りなどである。
 中には、それらの誤りをマスコミではなく葬儀社が堂々とホームページに掲載しているなど、頭を抱えたくなるものも時折見かける。コンピューターを扱ってホームページをつくるのが知識経験の少ない若い世代であったり、業者に丸投げしていることが多いとはいえ、いかにも「マナー本からそのまま転載しました」といったような内容のものも少なくない。

 今回は、それらの中でも特に間違いが多く、毎度気になっている問題について簡単に解説してみたい。



▽ 設題1:埋葬のための許可証

 それらの中でもトップクラス、十中八九が間違っているのは火葬後に受け取る埋葬のための許可証についてである。
 これについては、ほとんどの場合次のように言われる。

「火葬許可証を火葬場に提出し、火葬し、拾骨(骨揚げ)した後に、埋葬許可証が返されます。」
 あるいは、
「火葬許可証は骨揚げ後に返され、その後これが埋葬許可証となります。」

 法令を勉強している実務者ならばもちろんすぐに気づくだろうが、火葬後に受け取るのは「埋葬許可証」ではない。また、火葬許可証が埋葬許可証に変化することはない。

 日本における葬送に関する法律の中心となる『墓地、埋葬等に関する法律』では、その第2条で、「…「埋葬」とは、死体(…)を土中に葬ること…」と定めている。すなわち、法律における「埋葬」とはいわゆる「土葬」のことである。そして、これに続き「火葬」の用語を定義し、日本における葬りの形態のほとんどは「埋葬(土葬)」と「火葬」である、という認識に立っている。
 そして第5条では、埋葬や火葬の際には自治体の長の許可を受けること、また第8条では、「…埋葬火葬の許可を与えるときは、埋葬許可証、…火葬許可証を交付しなければならない。」と定めている。つまり、埋葬(土葬)の許可に際しては「埋葬許可証」を、火葬の許可に際しては「火葬許可証」を、それぞれ交付するのである。

 さらに火葬後については第16条の2で、「…火葬を行ったときは、火葬許可証に、省令の定める事項を記入し、火葬を求めた者に返さなければならない。」と定められているのであるから、返還されるのは「火葬許可証」である。

 次に、墓地に「納める」ときについてであるが、まず土葬の場合は当然死体そのものを埋めるわけであり、この行為は「埋葬」である。火葬の場合には、焼骨(火葬して焼け残った骨)を納めるわけであるが、この行為は第2条において「埋蔵」と表現されており、また納骨堂に焼骨を納める場合には「収蔵」と表現されている。
 その前提で第14条には墳墓(いわゆる一般認識の墓)に納める場合について、「…第8条の規定による埋葬許可証、…火葬許可証を受理した後でなければ、埋葬または焼骨の埋蔵をさせてはならない。」と定められている。
 それに続き、第14条の2では納骨堂に納める場合について、「…第8条の規定による火葬許可証…を受理した後でなければ、焼骨を収蔵してはならない。」と定められており、ここでは当然に焼骨のみについての定めであるから「埋葬許可証」という語は出てこない。

 これらのことから、火葬及び焼骨の埋収蔵についてはすべて「火葬許可証」で行うということがおわかりいただけるだろう。

▽ 誤解の根

 さてこのように、火葬後に受け取るのは火葬許可証であるのだが、この誤解については誤解する側だけの責任とは言い切れない部分がある。
 というのも、現在における一般的な日本語としての「埋葬」が何を指すかと言えば、土葬のことではなく「焼骨の埋蔵」のことであると考えてよいからである。

 なぜ法律用語と一般用語がこうもずれているのか。
 「墓地、埋葬等に関する法律」が制定されたのは戦後間もない昭和23年であり、当時日本における土葬・火葬の割合がほぼ半々であったため、埋葬(土葬)と火葬は並び立てて考える必要があった。しかし、現在では実に99.8%が火葬であり、土葬そのものが一般の認識の中からなくなってしまった。
 そのため、「墓に納める」という行為を「埋葬」と考えたとき、想定されるものが「火葬後の焼骨の埋蔵」以外にほぼあり得なくなってしまったである。

 このことは、平成9年から10年にかけて厚生省(現在は厚生労働省)内で持たれた、「これからの墓地等の在り方を考える懇談会」の中でも、「もはや、埋葬は例外とすべきである」という意見が出されるなど、問題として受け止めらてはいる。
 しかし現段階においてはこの法律の下に実務は運営されているわけであり、理解が違うからといって逸脱するわけにはいかない。「埋葬許可証」という語が法律上に存在しないのであればまだしも、存在しかつそれが別のものを指している以上、この火葬後に返還される許可証を埋葬許可証と表現しては誤りなのである。

▽ 設題1:まとめ

 「埋葬許可証」という語は使えない。さりとて「火葬許可証」で「埋葬」するという認識はない。
 ではどう表現すればよいのか、という疑問は当然に出てくるだろう。私は、冒頭の小見出しに書いたように、(焼骨の)「埋葬のための許可証」と表現することが妥当であろうと思う。
 より正確に言うならば、「焼骨の(一般用語としての)埋葬のための(法律用語としての)火葬許可証」であり、これを一般にわかりやすいように縮めたものである。

 正直、遺族にとってはその許可証が埋葬許可証であろうが火葬許可証であろうが、望む機能を果たしさえすればどうでも良いことであるが、実務者は誤らないように注意しなければならない。
 さまざまな葬儀社のホームページを見ていると、でかでかと「葬祭ディレクター多数在籍!」と書いてあるにもかかわらず、FAQなどでこういった間違いをしている会社が多く見受けられる。葬祭ディレクターの地位向上のためにも、資格保持者は自社のホームページをもう一度精査し、責任を持って情報を発信することが望まれる。
 また週刊誌などはある程度しかたがないとしても(もちろん責任を持ってもらうに越したことはないが)、先日はテレビで葬式に関するセミナーの講師をしているという人物が同じ間違いをしていたが、仮にも先生というのであればなお気をつけていただきたいものである。



▽ 設題2:分骨を行うための証明書

 拙ブログで紹介した本に書かれた次の事案は、慣れた葬儀士でもさらっと聞くと間違いそうな内容である。そのため引用させていただくが当該書籍を殊更に攻撃する意志はないことを予めお断りしておく。

ギリギリの選択"プライベート分骨"
 分骨問題には、さらに傷ましい事情がからむケースもある。
 神奈川県の平田さん(仮名)は、4年前に夫を亡くしたとき、"プライベート分骨"とでもいうべきギリギリの選択をした。
 墓造りが茨城県に住む亡夫の実家主導で進み、いつの間にか平田さんは蚊帳の外に。彼女は寂しさに耐えかね、亡夫の遺骨の一部を手元供養する決心をした。墓への納骨までは寺院に預けるという義父一家に頼み込み、1日だけ夫婦のマンションに置いてもらう約束をとりつけた彼女は、さっそく手を打った。
「最初はネットで調べて、電話相談を受けてくれる寺に聞いた。でも、家族の認証を得ないと分骨は難しいC、と難色を示された。それからは、近所のお寺に片っ端から電話して、宗派にかかわらず、分骨の儀式を行ってくれるお寺を探しました」
 平田さんは、分骨を引き受けてくれる寺院の手配の間に乳幼児用の骨壷を手に入れた。ほかの遺族にバレないようB、最も重要とされる喉仏ではなく、米粒のように小さい遺骨しか選べなかった。
「分骨証明書などを申請したら、霊園経由で義父にバレてしまうと思った。他所に埋葬するつもりもないAので、夫の写真とお気に入りだったカップと一緒に、今でも部屋に置いてあります」
 証明書をともなわない分骨や改葬は法に触れる@。しかし、火葬後の遺骨を手元に置くことについては、埋葬法に規定はない。何の罰則もない。散骨や自然葬については、その認知度に応じて「適切な配慮があれば問題にしない」という見解が出されるようになった。
 従来の一族墓、一家の跡取りが墓守をするといった認識が崩れつつある現在D、平田さんのケースが"後ろめたい秘密"ではなくなるよう、行政への働きかけが必要になっているのかもしれない。

『コワ〜い葬式の話』 別冊宝島編集部 編,宝島SUGOI文庫,2010年7月20日発行,160〜161ページより引用

 下線@の部分。「証明書をともなわない分骨や改葬は法に触れる」は正確な表現ではない。正しく言うならば次のようになろう。

「改葬にあたっては改葬許可証が必要。また分骨を埋蔵・収蔵するにあたっては分骨証明書が必要。ただし改葬の伴わない遺骨の持ち出しや分骨行為そのものには法律上の手続は定められていない」

 「改葬」とは『墓地、埋葬等に関する法律』第二条の3で「この法律で「改葬」とは、埋葬した死体を他の墳墓に移し、又は埋蔵し、若しくは収蔵した焼骨を、他の墳墓又は納骨堂に移すことをいう。」と定められている。わかりやすく言い直すと、
「死体を墳墓から墳墓へ移す」
「焼骨を墳墓から墳墓へ移す」 「焼骨を墳墓から納骨堂へ移す」
「焼骨を納骨堂から納骨堂へ移す」 「焼骨を納骨堂から墳墓へ移す」
ことのいずれかである。ここでもわかるように改葬は次の墳墓ないし納骨堂に納めるところまでを包括して言うのであるから、同法第十四条の定めを満たすためにその過程においては「改葬許可証」が必要である。

 翻って「分骨」はというと、この用語は墓埋法に定義を定める文言はない。分骨の語は『墓地、埋葬等に関する法律 施行規則』第五条で次のように用いられている。「墓地の管理者は、他の墓地等に焼骨の分骨を埋蔵し、又はその収蔵を委託しようとする者の請求があったときは、その焼骨の埋蔵又は収蔵の事実を証する書類を、これに交付しなければならない。」
 後半の「焼骨の埋蔵又は収蔵の事実を証する書類」というのが「分骨証明書」であるが、この書類が発行されるのは前半に記されているようにあくまで「埋蔵や収蔵のために要請があったとき」である。すなわち「分骨」とは行為として焼骨を分けることや実際に分けられた焼骨のことであって、その分けた焼骨を墓地に納めることとは分離して考えなければならないのである。

 このように改葬と分骨を並記するにはその性質はずいぶんと異なる。さらに例示に戻れば下線Aの部分で「他所に埋葬するつもりもない」とも述べているわけであるから、ここで「証明書を伴わない分骨…は法に触れる」という解説は適当ではない。
 下線@後に「火葬後の遺骨を手元に置くことについては、埋葬法(注:一般的な略称は「墓埋法」)に規定はない。」と解説していることには誤りがなく、これを繋げて言えば「焼骨を分骨し、その分骨を家に置くことには法律上の規制はない」と表現することになる。

 また分骨と改葬の決定的な差には、次の墓に納める行為を伴うかということのほかに、分骨は焼骨の一部であり改葬は全部であるということがある。実は上記の解釈は改葬の前段階にも当てはまる。すなわち、墳墓や納骨堂にある焼骨の全部を取り出してきて自宅に置くことについても、同様に法律上の規制はないのである。

 このことは次のような事例でわかりやすい。
 ある寺院の経営する納骨堂が老朽化し、全面的に建て替えることになった。この寺院は他に経営する納骨堂がなく、工事期間中はその納骨堂の中に収蔵していた焼骨をすべて取り出し本堂で一時預かりすることにした。工事は終わり、それらの焼骨は立て直された納骨堂に戻された。
 この間、収蔵されていた焼骨に関して法律上の手続はまったく必要がない。改葬は「他の墓地ないし納骨堂」に焼骨等を移すことであって、同じ納骨堂に戻すのであれば改葬ではない。また工事は一時的であるから本堂を納骨堂として許可申請する必要もない。この事例は個人が自宅に遺骨を保管することにも準用でき、極端なことを言えば「納骨後、たびたび寂しくなったから何度となく遺骨を出してきては自宅にしばらく置き、また納骨することを繰り返した」としても、法には触れないのである(管理者は迷惑かもしれないが)。

 改葬手続からもわかるように、墓埋法は焼骨を墓から「取り出すこと」については規制していない。「初めに納めること」についてのみ規制しているのである。従って例えばすでに納骨堂に収蔵した焼骨を取り出して散骨する場合、改葬許可証も分骨証明書も必要ないのである。
 ただし、申告しなければ当該墓地の墓誌にはそこに遺骨が現存しているかのように記録が残るわけであるから、管理者に一声掛けることは至極もっともな判断である。使用規則によっては遺骨が現存していなければ墓地使用権を失う場合もあるからである。

▽ 余談:この引用事例における本当の問題点

 ここまで解説したように、この事例において分骨証明書の交付を受けなかったことについてはなんら問題はない。しかしこの事例そのものについては非常に大きな問題が別にある。それは平田さん(仮名)が下線Bにあるように「亡夫の親族に無断で分骨した」という点である。
 つまりこの事例の問題にすべき点は「墓埋法における遺骨の扱い」ではない。民法第八百九十七条に定められた「祭祀に関する権利」を侵害していないかという点なのである。
 その意味で下線Cのお寺は正当な理解をしている。後に出てくる「分骨の儀式」などという問題ではない。表題にある「ギリギリ」どころではなく明らかに「一線を越えている」からである。分骨を引き受けた寺院がこれらのことをわかっていて手伝ったのであれば大問題である。

 もちろん、これだけの文章ではわからないが平田さん(仮名)自身が「祭祀権者」と認められる可能性は十分に有り得る。一番確実なのは亡夫が有効な遺言で平田さん(仮名)を祭祀承継者に指名していた場合であるが、そうでなくても妻が祭祀を司ることが慣習上妥当だと認められれば、逆に亡夫の実家が平田さん(仮名)の権利を侵害していることにもなる。神奈川というだけでは何とも言い難いが、都市部であれば古い慣習が衰退し現代的に夫婦の権利が尊重される可能性も大いにあろう。少なくとも「実家が仕切るのが慣習として妥当とまでは言えない」という認識が周辺社会にあれば、家庭裁判所に判断を委ねることができるわけであるから可能性はゼロではなくなるのである。

 この点において下線Dのように社会認識が進んでいるのだとすれば、重要なのは行政への働きかけの前に「既存の権利について正しく認識すること」と言えるのである。
 同様の事案は全国に少なくなかろう。世の葬送の満足のために、メディア諸氏には正しい情報に基づく十分な啓発をお願いしたい。



▽ そのほか誤りの多い事案

 ちなみにこのほかにも法令に関してホームページ上などでよく間違われているのは、「死亡届の提出できる自治体」や「散骨の法的解釈」などである。各々に調査されたし。なおこの二点については当サイト内の別のページでも解説している。


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