キリスト教葬儀に使える御礼状・挨拶状等の文例


▽ はじめに

 時折知人の牧師から、「キリスト教専門でない葬儀社に依頼するのだが、キリスト教葬儀用の会葬礼状の文面がわからないと言うので、何か例文がないだろうか」という問い合わせを受けることがある。
 確かに、地方の葬儀社ではキリスト教葬儀を施行することは稀であり、文例集やインターネットでも仏教葬やせいぜい無宗教葬の文例はともかく、キリスト教葬の文例として掲載されていることはほとんどない。そこで、今回は会葬礼状の文面について実例を交えて考えてみたい。

▽ 文例

 下のサンプル@は、現在株式会社シャロームで用いている会葬礼状の標準文例である。
※ 他の葬儀社であってもキリスト教葬儀にそのまま用いて構わない。ただし、@文章に価値を付けないこと(印刷対価のみに止めること) A出典を訊かれたらこのホームページと答えること(礼状に掲載する必要はない)。

 「専門業者であれば、実にそれらしい文章だろう」とお考えの方も多いかもしれない。しかし、おそらくこれを見た人の多くが、「あまりにも普通の文章だ」と思ったであろう。もちろん、まさにそれを意図して作っているのである。

▽ 「らしさ」の程度

 「キリスト教葬儀ならばキリスト教らしい文面を」と考えるのは自然なことである。しかし、端的に言えば「日本語としての御礼の言葉」に仏教もキリスト教もないのであって、せいぜいその他の部分で妥当でない語を言い換える程度のことである。

 キリスト教葬が少ない地域では、当然キリスト教徒も少ないのであって、会葬者の多くはキリスト教徒でないことが想像に難くない。そのため、あまりに「キリスト教らしい」文章は、感謝が会葬者に上手く伝わらなかったり、日本語としておかしくなってしまうことがままあるということも考慮しておきたい。

▽ 注意点

 かといって、仏教葬の文面をそのまま用いるのはやはりしっくりこない。そこで、それらをベースに文章を考案する際に留意すべき点をいくつか挙げておきたい。

T.語の言い換え
 「逝去」「死去」「永眠」など→「召された」「召天」など
 「極楽」「浄土」「涅槃」など→「天国」「御国」「みもと」など

U.難読語など
 会葬礼状には日常使わないような堅苦しい言葉が用いられていることが多かった。近年ではずいぶん緩和されてきたとはいえ、いまだその傾向は強い。しかし、御礼を言うのに格式張る必要はないので、できるだけ平易な言葉を用いる方がよい。

V.句読点
 旧来から葬儀の礼状などでは句読点を用いないという慣習がある。しかし、このことに囚われる必要はなく、受け取った者が自然に読みやすいよう、普通に句読点を用いてよい。

W.御礼の対象
 時折、キリスト教らしさを追求するあまり、会葬礼状であるにもかかわらず神様への取りなしの祈りが書かれているものがある。しかし、会葬礼状は人から人への御礼の言葉であるから、対象者はあくまで受け取る会葬者であることに注意しなければならない。

X.「感謝」という語
 キリスト教徒はつい習慣的に「感謝」という語を用いてしまうことがあるが、「御礼」と言うほうが平易で対人に直接的な印象を受ける。
※ 私もあまり気にしていなかったが、「感謝しています」と言われると遠い位置からのもの言いと感じる人が実際にいるのである。
 また、「感謝申し上げます」という用法は日本語の本則から外れいているという指摘もある。
※ 「申し上げます」を「する」の敬語として用いる場合は、「御+〜+申し上げます」としか使えないらしい。

 他にも、サンプル@では一般的に「喪主」と書くところを「遺族代表」と書いたりしているが、特に深い意味はない。時折「喪主」という語を用いたくないという人がいるので、汎用性を重視しているだけである。
 また、日付は西暦で書いているが、これも同じ理由である。
※ 西暦を「キリスト教由来だから」とこだわって用いる人もいる。
 冒頭の聖句についても、必ずしも入れなければならないということはない。ここは逆に「らしさ」を追求している部分である。

 私自身ここ数年間、遺族や牧師、教会員や会葬者にリサーチしながら何度か文面を変えてきたが、その中で至ったのが上記のような考えである。もちろん、これからも変化していくかもしれないが、現在においての参考にしていただきたい。
 葬儀は何かと慌ただしく、遺族も牧師も会葬礼状の文面などにかまけている時間はないであろうから、この程度のことでも一助になれば幸いである。

▽ 教派による書き分け

 上記では、おおよそのプロテスタントに共通するものとして述べているが、一部の教派ではその考え方の違いにより若干表記を変更した方がよい場合がある。
 もっとも、これもあまりにも一般的な用語からかけ離れた語は用いらない方がよいと言える。
 諸教派の書き分けについては手元にあまり資料がないが、一部の例を挙げておく。

  カトリック…天に召される→天に帰る(帰天)
  正教会…同→永眠する
  SDA…同→しばしの眠りに就く
※ 中核用語のみ。前後の文脈は各々お考えいただきたい。

 なお、これら専門表現については念のため制作時に司式牧師等に確認していただきたい。

[sample@] プロテスタント葬儀用会葬礼状(往復ハガキサイズ)
★本文(コピー用)
 ○○○○は与えられた地上での歩みを終え、主によってみもとへと召されました。生前は皆様より温かいお交わりを頂き、故人に代わりまして心より御礼申し上げます。
 また、本日はお忙しい中をご参列頂き、誠にありがとうございます。悲しみを共にしてくださる皆様の上にも、主の慰めと平安が豊かにありますようお祈り申し上げます。
 聖句は故人愛誦聖句などを使うとよい。なければこの箇所は無難。
 故人名の頭に「故」を付けるかどうかは、遺族や牧師の感性によるところが大きい。要確認。
 例えばセブンスデー・アドベンチスト教団では「主によってみもとへと召されました」を「平安のうちにしばしの眠りに就きました」などに変更するほうが良いなど、教派によっても多少の違いがあるので毎回確認するべき。

[sampleA] 宗教的表現を抑えた会葬礼状(往復ハガキサイズ)
★本文(コピー用)
 謹啓 故 ○○○○ の葬儀に際しましては御多用中にもかかわりませず遠路はるばる御会葬くださいまして誠に有り難うございます
 皆様より頂戴いたしました生前の御厚誼と此度の御弔慰に深謝し心より御礼申し上げます 敬具
 キリスト教で葬儀を行うが本人がノンクリスチャンだというように、会葬者の多くがキリスト教に馴染みのない人で構成される場合などに。内容は仏式等の一般的な会葬礼状に準ずるが、宗教的表現を抑え、語を柔らかく変更したもの。サンプルでは一般的な習慣に沿って句読点を除いてある。

[sampleB] プロテスタント用寒中見舞い(ハガキサイズ)
★本文(コピー用)
 年の暮れより寒い日が続いておりますが、皆様お変わりなくお過ごしでしょうか。
 こちらは○○月○○日に[続柄] [故人名]が人生の旅路を終え主のみもとへと召されました。いまだ悲しみと寂しさの中にありながらも、多くの皆様のお支えに感謝しながら日々を過ごしております。
 常であれば新春の慶賀を皆様と分かち合いたいところではございますが、いまだ取り紛れておりますゆえお知らせとともに差し当たり書中をもって失礼いたします。
 まだ寒さは続きそうです。皆様どうぞ一層ご自愛ください。

★本文2(コピー用)
 過日、[続柄] [故人名]が人生の旅路を終え主のみもとへと召されました。いまだ悲しみと寂しさの中にありながらも、多くの皆様のお支えに感謝しながら日々を過ごしております。
 常であれば来る新春の慶賀を皆様と共に分かち合いたいところではございますが、いまだ取り紛れておりますゆえお知らせとともに差し当たり書中をもって失礼いたします。
 寒い日が続きます。皆様どうぞ一層ご自愛ください。
 キリスト教では基本的に用いない喪中葉書の代用に作成したもの。ただしこの実物は寒中見舞いとして年が明けてから出しているため、このような文章になっている。通常の喪中葉書のように年内に出すのであれば、「寒中御見舞い〜」を「新年の挨拶ご遠慮申し上げます」などとでもして、上記「本文2」といったところか。

[sampleC] 御花料の返礼品に添える御礼状(ハガキ横長ダブルサイズ)
★本文(コピー用)
 過日、○○○○の葬儀に際しましては、皆様より温かいお支えを頂き誠にありがとうございました。家族近親一同深く感謝いたしております。
 つきましては、ささやかではございますが御礼のしるしをお送りいたしますのでご受納ください。
 どうぞこれからも変わらぬ良きお交わりをいただければ幸いでございます。
 皆様とご家族の健康が主によって守られますようお祈り申し上げます。

★本文2(コピー用)
平和の主を賛美します
 過日 父 ○○○○の葬儀に際しましては種々のお支えを頂き誠にありがとうございました。皆様の祈りと励ましによって、このたび召天後五十日を憶えての記念会を無事行うことができました。
 遺された家族一同いまだ悲しみと寂しさの内にありますが、皆様のご厚情に感謝しながら日々を過ごしてまいります。どうぞこれからも良きお交わりを頂きますよう心よりお願い申し上げます。
  主の御手の内に在りて
 追伸 僅かばかりですが感謝のしるしを添えさせていただきます。
 御花料の返礼品(いわゆる香典返し)に添える御礼状。サンプルはちょうど良い台紙があったのでハガキ横長ダブルだが、巻紙でも単票ハガキでもよいだろう。
 本文2は仏式でいう四十九日(満中陰)のように、50日で記念会を行った後に返礼を行った時のもの。sampleBの寒中見舞いと一部重なる内容になっている。また「頌主〜在主」で綴じるなど、こちらの方が全体的にキリスト教くさい文章になっている。

▽ 御花料の返礼を何と呼ぶか

 御花料の返礼品の名称で比較的よく見られるのは「偲び草」というもの。これはキリスト教に限らず「香」のない神道などでも多く用いられているようだ。
 しかし偲び草という言葉は「偲ぶ」=「記念する」と「草」=「品物」を組み合わせただけのものであるから、簡単に言えば「記念品」という意味である。それならば私としてはわざわざ難しく言う必要もなかろうと思うので、文例中では「感謝のしるし」としている。

 ちなみに余談だが私は「香典返し」でもまったく構わないのではないかと考えている。
 元々の香典は当時貴重品だった「香」そのものをわずかずつ僧が持ち寄って死者の供養に手向けたものだという。その後香奠は食べ物などに取って代わり、地域共同体の中での相互扶助の役割が中心になってくる。
 近代になって香典が金銭で行われるようになると、相互扶助プラス「香を買うためのお金」という回帰的な意味付けが同時になされるようになったのだと推測される。そこから「キリスト教では香の代わりに花を献げるのだから、香の料金(香典)ではなく花の料金(御花料)だろう」という発想が生まれたのであろう。
 そう考えると食料香奠になった時点で香典本来の意味は一旦失われ、成語として「葬儀に際して遺族の経済的負担を軽減することなどを目的とした金銭などの授受」が「香典」という言葉で表されるようになっているのであるから、別にそれをわざわざ「御花料」と言い換える必要がそもそもないだろうと思えてならないのだ。
 日本文化的「香典」をもらったから「香典返し」をする、でいいのではないかと思える。ちなみに米国でも日系人の葬儀ではズバリ「KODEN」で通用するようである。

 お返しを受け取る人の多くがクリスチャンでない可能性も多分にある日本なのだから、あまり「らしさ」を追求するよりも感謝の気持ちがわかりやすく伝わるほうが重要ではないかと私は思う。


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