葬儀社の料金は高いか


▽ はじめに

 冒頭に断っておく必要があるが、今回の話は自社・他社の葬儀料金に対して批判や注文をつけることを目的としていない。

 そもそも、このタイトルで文章を書くことは非常に悩んだ。
 私自身の感想は後にするとして、おそらく、「高い」と言えば業界から文句を言われ、「安い」と言えば言い訳にしか聞こえないだろう。
 また、「どちらとも言えない」と言うと、何のために書いたのか、つまらない、と言われそうだ。
 しかし、情報の多い近年においても葬儀の料金についての知識は一般の方にはほぼ無いと言ってよく、自身や家族の死を「遠い将来」のこととして漠然と不安を抱えながら日常を過ごしている方が多いように思う。
 そしてその原因の多くが、「日本人の死に対する忌避意識と、それにつけ込んだ葬儀業界の商業主義にある」とはよく言われることであり、残念なことである。
 私は(この時点で)たかだか10数年しかこの業界にいないが、この業界に関わった者として少なからず自責の念があり、また将来に向けて業界と消費者の良好な関係を構築する上で何らかの方策を講じねばならないという責任もある、と感じている。
 特に、キリスト教葬儀専門と銘打っている以上、それは同胞に対しての重要な責任である。
 そこで今回は、「現代日本における葬儀社の料金事情」について、私なりに解説と思索をしてみたいと思う。
 ただ、今回のテーマは幅が広すぎるので、論点が纏まらず少し読みづらいだろうことは先にお詫びしておきたい。

▽ 葬儀料金とは何か

 葬儀料金について語るならば、まず当然のことながら「葬儀料金」とは何かを定義する必要がある。
 わずかにメディアに流れる「全国の平均葬儀料金」などの情報には、この定義が欠損していたり漠然としている、あるいは実際的でないものもあり、それらの比較が容易ではないのが現状である。
 その狭くは葬式における葬儀社への支払いのみを挙げ、広くは飲食・宗教者への御礼・香典返し・墓地墓石に至るまでを挙げるのであるから、それらをいちいち分解して検証することは一般の消費者にはまず不可能である。
 そこで、ここでは私が専門に関わる「葬儀社への支払い」のみ、としておきたい。
 すなわち、重ねて言うが飲食・宗教者への御礼・香典返し・墓地墓石等の「周辺料金」は含まない。
 おおよそ、臨終から骨揚げまでの一式料金と考えていただきたい。
※ 関西では骨揚げを待つ間に食事をすることが多いが、当然その飲食費は含まない。

▽ 葬儀社へのニーズの変化

 もうひとつ、念頭に置いていただきたいのは、「葬儀社は何業か」ということである。
 葬儀社の形成の流れにはいくつかあるが、大まかに分けると、ひとつは従来からの「葬具」を作成・販売していた人々が葬儀全般を取り仕切るようになっていった流れ、もうひとつは近代になって葬儀に関連していたサービス業など(料理屋さん・花屋さん・運送事業など)から葬儀社に転化した流れであると考えられる。
※ 今でも葬儀社の屋号に「花」や「かご」などの字が入るものが多いのはそのためのようだ。
 そのため、現在の葬儀社は物販(商業)の側面と、役務(サービス業)の側面の両方を持っている。
 さらに、近年では葬儀会館の提供、遺族のグリーフケア、諸手続のサポートや、果てはターミナルケアや福祉施設の相談などのエンディングプランナーとしての期待もあり、大手葬儀社などその内部で細分化がなされているものはともかく、中小零細企業ではすでに何業かわからないほどになっている所もある、ということは申し上げておきたい。

▽ 商品価格の構造

 さて、そういった事情であるから、本来は「物販」と「サービス」の料金は分割して考えなければならないのだが、ここにひとつの問題点がある。
 それは、近代葬儀社で「サービス料」を明示している企業はほとんど無い、ということである。
 かといって、サービス料が発生していないわけでは、もちろんない。その多くは物販やセットに分割・吸収されているのであり、「不明瞭な祭壇料金」などという問題の多くはここから発生しているのである。

 ではなぜサービス料が明示されないのか。これは私も常々疑問ではあるが、理由はどうやら「消費者に理解されないから」だということのようだ。
 ただし、これは理解してくれない消費者を非難しているわけではない。「物品の代金50万、サービス料50万」と言われるのと、「全部で100万です」と言われるのはどちらが高いと感じるか、ということである。
 合計金額が同じでも、「物販+サービス料」と表記してあるよりも、「物販のみ」と表記してある方を消費者がつい選んでしまうという傾向が強いようなのだ。

▽ 消費者意識の変化

 もっとも、昔はこれで良かった。
 私が業界に入って間もないころ、上司が受注した仏式の葬儀の際に打ち合わせから付いたある時のこと。

 上司「どないしましょうか?」
 施主「じゃあ全部で100万ぐらいで」
 上司「わかりました」

で、打ち合わせは(だいたい)終わり、である。
 半分素人の私は正直なところ開いた口が塞がらなかったが、当時ではこれがほとんど問題にならなかったのだ。
 もちろん現在でも総額で依頼する消費者はいるが、私はその金額を目標に細部の料金を構築して提示することにしている。
※ ただ私が典型的なA型気質だから、というわけではない。

 しかし、近年になってその様相は一変する。
 バブル崩壊以降の景気の低迷と少子高齢化、またターミナルケアの医療費増大などに起因して、施主になる現役世代が葬儀代金をそれまで以上に重負担と感じるようになってきたからである。
 葬儀に限らずどのような消費に対しても、消費者の目はシビアになり、「物の価格」について考え始め、マスコミもそれを煽って「物の原価」を強く話題にした。
 そして、「葬儀で見栄を張らない」という考えが大きく賛同を集め、「物は要らない、気持ちで送る」という思いが、特に若年層を中心に広がっていった。
※ 極端なところでは、まるで「金額と気持ちは反比例する」かのように言われることすらあるのが不思議。

 そのため、サービス料を明示しなかったことは完全に裏目に出ることになる。
 生花の価格・棺の価格・霊柩車の価格…と、分解され評価される中で、サービス料は意識の外に置かれてしまったからである。

▽ 事業者にとって悪夢の時代

 時代の変化に適応できない保守的な事業者たちは大いに慌てた。
 というのも、当時はいわゆる「会館ラッシュ」時代、すなわち葬儀が大型化し、式場が自宅等から葬儀専用会館へ移行していったピークの時代であった。
 事業者たちは消費者の、形のない「サービス」に対するニーズの高まりと、形のある「物品」に対する価値評価とのギャップを吸収できなかったのである。
 無理をして建てた会館の費用を回収するにしても、価格を下げれば金額が不足し、価格を維持すれば開店休業、というジレンマに多くの中小零細企業が陥った。

 それに追い打ちをかけたのが、他業種からの参入である。
※ 日本には葬儀業を起業する際の規制は特になく、免許も不要。
 大資本を持った大手企業が、不動産や流通などの条件を有利に揃え、強力な宣伝力で消費者の目を奪っていったのである。
 すでに行く先に暗雲立ちこめていた中小零細葬儀社に、これに立ち向かえる資本力などあろうはずもない。
 生き残れるのは資本を持つ大手葬儀社か、宗教等に特化した専門葬儀社か、というほぼ二者択一になり、旧来からの地元に根ざした事業者は急速に衰退していったのである。

▽ 消費者ニーズの拡大

 近年ではもうひとつ、葬儀業界を根底から揺るがす現象がある。
 それは、葬儀における宗教者批判と宗教離れが大幅に加速したことである。
 その原因については本題ではないのでここでは触れないが、とにかくそれはかつてないほど大きな流れであった。

 そして、そのことにより消費者の葬儀社に対するニーズは急激に拡大することになる。
 それまで、おおざっぱに言えば葬儀における精神面でのサポートを宗教者が、物質面でのサポートを葬儀社が担っていたのであるが、宗教離れによってその精神面でのサポートも葬儀社に求められるようになってきたのである。
 グリーフケア、トータルエンディングサポート、無宗教葬…と、葬儀社はそれまで経験したことのないような様々なテーマを課せられたのである。

 同時に、葬儀の形態についてはいわゆる「地味葬」志向が強まっていくのだが、それはこれまでに述べた、「過重負担」「精神面重視」「宗教離れ」などの消費者の意識変化の集大成であるとも言えるのである。

▽ 閑話休題

 私の勤め先の社長(※注:現在では姉妹会社の社長)などは、良い意味でも悪い意味でも、自他共に認める「古い葬儀屋」である。
 当然、先述の「時代の変化」に付いてこられていない人の一人であるから、私もことあるごとに「今はそんな考えじゃダメなんです!」と責めることが多い。
 しかし、こうして業界の変化を考えていくと、若干不憫に思わなくもない。
 戦中戦後の時代を「激動の時代」と表現することがあるが、彼らにとってはまさしくその感覚なのではなかろうか。
 その意味では、私は「戦後の生まれ」であり、先述の拡大した消費者ニーズなど「当たり前」と思っている感があるのだから、比較してはかわいそうなのかもしれない。
 まあ、そんなことを表立って言うと変革を怠るので、ここでコッソリ言っておこう(当然社長はインターネットなどしない)。
 そんな反省を交えつつ閑話休題。

▽ 物品の価格構造

 さて、本題に戻ってまずは葬儀代金中における物品の価格について考えてみたい。
 消費者から見ても思いつく物品といえば、生花・棺箱・霊柩車・寝台車・遺影写真・骨箱・ドライアイス・受付道具・会葬御礼品・印刷物・タクシー・マイクロバスなど、仏教葬では他に祭壇の償却・仏衣・枕飾り・中陰段などであろうか。
 実際にはこの他にも備品や消耗品は多いが、葬儀社としてもそれぞれに細かく料金を付けることは難しく、ここで考える上ではあまり問題にならないだろう。
※ 企業によってはボールペン1本まで値段が決まっているところもあるらしいが…

 これらの物品を、大雑把に3つのグループに分けてみようと思う。

 @生花・受付道具・会葬御礼品・印刷物・タクシー
 A寝台車・ドライアイス・マイクロバス
 B棺箱・霊柩車・遺影写真・骨箱(祭壇の償却・仏衣・枕飾り・中陰段)

 さて、こう区分したとき、これらが何によって分けられているかお解りだろうか?

 世知辛い話であるが、答えは消費者が

 @実生活で日常的に購入するもので、価格の比較が容易なもの
 A日常ではあまり購入しないが、個人で購入することが容易なもの
 B一般の消費者が購入することはあまりなく、価格の調査が難しいもの

である。

 当然のことながら、葬儀社は@に対して高い収益率を求めることは妥当ではない。
 旧来のように「全てお任せします」ということならばともかく、消費者が原価を考えるようになってくると、「葬儀社に頼むと高い」という印象を持たれるからだ。
 ではAはどうかというと、個人で購入できるということは価格を調査することもできるということなので、葬儀社が「販売」している場合にはある程度の差額がわかることになる。
※ このページはあくまで論壇であって、裏話をすることが目的ではないので、あえて「調べてください」と言っているわけではない、ということはどうぞご理解いただきたい。
 そこで、Bに対して収益を求めるわけであるが、かといって@Aにかからない分(サービス料を含む)を全てBに掛けるとバランスが悪くなるのである。

▽ 高価感の緩和策

 ではどうするのかというと、その手法のひとつが先に述べた「パック化」である。
※ 別段、葬儀業界に限った話ではない。
 すなわち、@ABの適当な項目を「纏めて、いくら」としてしまうのである。
 こうすると、個別の物品に対して価格判断が難しくなり、前述の「全部でいくら」に近い状態を作ることができるからである。

 この緩和策は葬儀社のほとんどが導入しており、私の勤め先でも例外ではない。
 これらがいわゆる「祭壇料問題」の根幹であり、また葬儀社によってどれとどれをパックにするかが異なるため、葬儀料金の比較を困難にしている要因でもある。

▽ 個別表示か総額表示か

 これだけ聞くと、いかにも「パック化」が害悪というように聞こえるかもしれないが、一概にそうとも言い切れない。
 簡単に言うと、「理解が容易で煩わしくないから」という利点も存在するのである。
 全ての商品を個別に販売するとなると、説明する販売者のみならず説明を受ける消費者にとっても相応の労力を要する。
 特に精神的な負担の直中にある遺族が、さらに葬儀の打ち合わせにおいてより過大な負荷をかけられることを、若干でも緩和することができる可能性があるのだ。

 その程度か、と思われるかもしれないが、この「若干」が、意外に割合としては大きいのである。
 米国などでは、葬儀業は厳しいルールによって縛られており、「全ての商品に価格を明示し、商品について詳細な説明をするが、購入を提案しない」などの規則がある上、生前予約が認知されている。
 このため、消費者は比較的安定した状態で情報を収集し、購入を決めることができるのだが、日本にはこの風土がない。
 家族が亡くなってから慌てて葬儀について考え、わずかな日数で葬儀を実施することが通例になっているので、この「若干」の簡便さも重要なのである。

 実際に葬儀受注の現場でも、消費者に詳細な商品説明をする試みは企業によって各々のレベルでなされつつあるのだが、いざ説明を始めると「で、結局全部でいくらなの?」と質問を受けることもまだまだ多いのが実情なのである。

▽ 物品の原価を下げる

 さて、当たり前のことだが、企業の収益を上げる要素は、販売価格を上げることと原価を下げることである。
 販売価格を上げることについては、前述のパック化や、後述のサービス拡大、またセレモニー色を強調して付加価値を付けるなどの方法が採られているわけであるが、原価を下げる方はどうか。
 通常、物品の原価を下げる方法は、大きく分けると「製造コストを下げる」「流通・保管コストを下げる」であろうと思うので、それぞれについて考えてみたい。

 まず製造コストを下げることについてであるが、一般的に物品は量産すれば材料費が下がることが多い。
 しかし、例えば棺であれば、日本における消費量は年間およそ百万本でしかない。
 それは当然、死亡者が(今は2008年)百万人程度だからであるが、計算上は毎年120人程度に1本の割合でしか消費されていないのであり、けして多いとは言えない。
 葬儀関連物品はこのように「日常的に多数消費されない」ものであり、さらに時代は葬儀の多様化(差別化)を求めている傾向があり、商品の種類も急激に増大しているのであるから、量産にはおのずと限界がある。

 では考えられることは何かというと、これも葬儀業界に限らないが、産地を変えること、つまりは輸入である。
 現在、棺や祭壇などの木工品の多くは海外で作られていたり、海外で作ったパーツを日本で組み立てていたりする。
 当然、国内で製造するより材料費も製造費も安価になるからである。
 ただあえて言っておくが、国産品でないから品質が総じて悪い、ということはない。
 国産品であっても品質が良いものもあれば悪いものもあるし、逆もまた然りである。
 品質を下げれば価格も下がるのが普通であり、安いから良い、とも一概には言えない。

 また流通コストについては、このように輸入・日常消費しないという条件であるから、地産地消や通信販売などを考える意味はほとんどなく、特別大きく削減できる要素は見あたらない。
 保管コストについては、商品を「作りすぎず、余らせないこと」が重要だが、ここには改善の余地があるように思う。
 しかし、先述のように消費者ニーズの幅が広がれば広がるほど、その改善は難しくなっていくだろう。

▽ 物販価格への反映

 ただ、こうして削減された物品のコストを、葬儀社が販売価格に反映させるかどうかは全く別の問題である。
 現状では、既存の企業が原価の増減によって販売価格をこまめに増減させているということはまずない。
 企業であるから、コストを下げるのは収益を上げるため、というのが基本である。
 また、コストが上がれば販売価格を上げたいのだが、公に言うと消費者の理解を得ることは難しい。
 そこで、量を減らしたり品質を下げることで対応するのだが、これも葬儀業界に限ったことではなく、各企業の理念やモラルに左右されるところである。

 これに関連して注目しなければならないのが、他業種からの新規参入やベンチャー企業などである。
 既存の企業がある中で競争に加わるのであるから、当然消費者に強く宣伝しなければならないのであり、商品のアイデアだけではなく価格についても「挑戦」することが多い。
 消費者にとっては安くなればいいようにも思うが、難しいのは日常消費しない葬儀関連物品は、消費者が見ても「品質の善し悪しがわかりづらい」ことである。
 後述のサービス料問題も含め、価格競争だけが激化する状況が進めば、近い将来また新たな歪みが生じることは想像に難くなく、注意を要する。
 マスコミも「価格が高い」ということだけを煽り文句にしないよう願いたいというのが正直なところである。

▽ サービス料の構成

 次にサービス料についてであるが、これも「人件費」「技術料」「施設使用料」などを区分して考える必要がある。
 ただし、全ての企業が同様の構成でサービス料を計上しているわけではない。
 人件費はともかく、技術料などは企業の理念によるし、免許もなく法的に保護されているわけでもない。
 また施設使用料などは、会館を持たない中小零細などの企業には無縁である。

▽ 役務の程度

 さて人件費についてであるが、そもそも一葬儀に対してどの程度の人員がどの程度の時間、役務に従事しているかを正確にイメージできる消費者は多くないと考えられる。
 もちろん、葬儀の規模や企業の営業形態などによって幅は大きいのだが、私の勤め先(出張型・小規模)を例にとっておおよそを考えてみたい。

 まず一葬儀に1人の担当が必要であるが、一葬儀における業務内容はおおよそ以下のようになる。

(初日)電話連絡を受ける→出社して準備→寝台車を手配して病院へ→ご遺体を自宅へ搬送→遺体処置→葬儀の打ち合わせ→帰社して発注業務…
(日程により適宜)…設営の準備をして式場へ→式場にて設営→納棺のため自宅へ→ご遺体を式場へ搬送→式場の整備→ご遺族・宗教者と式中の打ち合わせ→式場案内など→式中の業務(前夜式)→片付け→帰社して手配の補完…
(翌日)…出社して手配の補完→式場で設営の補完→式後まで前日と同様(追加で当日支払いの業務など)→出棺→火葬場の案内→式場に戻り片付け→火葬場へ戻り骨揚げの案内→式場へ戻りご遺族と今後の打ち合わせをし解散→帰社し片付け→書類整理と資料作成→請求書作成…
(適宜)…請求書発送→集金や領収証作成発送→香典返しや墓地関係などの依頼があれば手配…

 ざっと、こういったところである。
 従事している時間は葬儀によってまちまちだが、延べ平均3日で30時間程度だろうかと思う。

 次に、設営には担当者以外に数人のスタッフが必要である。
 私の勤め先では生花や霊柩車は外注なので、そのスタッフは除くとして(間接的に料金に加算されるのは当然だが)、他に平均2名程度のスタッフが設営と撤収にあたることが多い。
 こちらは1名あたり延べ平均2日で18時間程度ではなかろうかと思う。

 また、式のためのスタッフもおり、ご遺族のお世話や会葬者の案内・誘導等をするのだが、こちらも平均2名程度、時間は1名あたり延べ平均2日で15時間程度ではなかろうか。
 このスタッフについては、企業によって先述のパックに入れたり、別に計上したりとまちまちである。
※ 当社の商品でいえば、スタンダードセット内の「式場アシスタント」であり、2×2名を含み、追加されれば別料金である。

 なお、上記は出張型・小規模企業の例であるが、会館型の大企業はどうかというと、もっと多くの人数で多くの業務を分散して行うだけであり、人数×時間がそう大きく変わるわけではないように思う。
 しかし、自社会館内で業務が行えるということは、式場まで出張するための時間が削減できるということであるから、1名あたり1日平均2時間程度短縮されるのではなかろうか。
 ただし、大企業になるほど総括の役員など、直接現場業務に関わらない人件費も分散・吸収しなければならないので、どちらが多いとは単純に比較しては言えないだろう。
 また、生花や霊柩車を自社で保有する企業もあるが、そのスタッフの人件費は直接か間接かの違いだけで、ここではあまり問題にならない。

▽ どれくらいの金額か

 では、その人件費は具体的にどの程度の金額なのだろうか。
 当然、それぞれの企業の給与規定などによるわけであるが、例えば上記のスタッフ全員が同じ時給ベースだと仮定する。
 すると、時給二千円だとして2,000×96(時間)=192,000円であり、時給千円でも96,000円である。
 時給二千円、と聞くと高いようにも聞こえるが、普通の企業でいえば「ボーナス3ヶ月分・残業や諸手当なし」の条件で年収総額520万円程度、月収総額35万円弱であるし、中小零細企業の中堅にある担当者などは24時間365日オンコール(呼び出し待機状態)の場合も多く、労基法にいう「管理者」という扱いならば法外な金額ではないように思う。
※ もちろん、私がそれだけもらっているという意味ではない。念のため。
 また、世のアルバイトなら時給千円ぐらいとも思うのだが、業務の特殊性からアルバイトでまかなえる部分はそう多くないのが実情である。

 実際にはこれに社会保障費(健康保険や厚生年金などの会社負担分)がプラスされる。
 さらに、葬儀社は待機人件費(葬儀が無い期間の常勤者の給与)も大きく、その財源はそれぞれの葬儀に分散して求められるのである。
※ 件数の少ない小規模企業ほどこの待機人件費の負担が大きいわけである。

▽ 葬儀社員の給与は高い?

 もっとも、この試算が妥当かどうかについては、想定の時点で幅がありすぎるし、検証しにくい。
 余談になるが、最近流行った映画で「おくりびと」という納棺師を主人公にした作品があったが、その中で社長が面接に来た主人公に「月給50万」と言う一場面がある。
 しかも、まったく業界を知らない新人に、である。
 月給50万といえばボーナスなしで年収600万であるが、私は正直このシーンを見たとき非常に動揺した。
 この映画を見る一般の人は、これを見て葬儀業界では皆これぐらいもらっているのかと思わないか、という懸念が湧いたからである。
 もしかしたら、地域性や作者のリサーチした先(監修は冠婚葬祭互助会だった)ではそうだったのかもしれないが、少なくとも私の認識では、現代の納棺師でそれだけもらうとしたら、よほどの「売れっ子」でなくてはならないし、納棺「も」する葬儀社員でもそれだけもらっている人が大勢とは考えられない。
※ なお、映画の名誉のために言っておくが、全体的には面白かったと思う。

 ただ、旧来から「葬儀業界の給与は高い」との認識は、一般に強くある。
 確かに業界の古い人たちから聞くと、昔の収入は今よりも平均して高かったようであるが、どうやら「他人の嫌がる仕事は収入が高い」という認識が一般的だったからのようである。
 つまり、給与が高くなければする人がいない、というのである。
 しかし、現代においてこの認識はあまり妥当ではない。
 特に都市部においては、葬祭業は別段忌避される仕事ではなく、給与も一般企業並みと考えていただいて差し支えないだろう。
※ 中には大手の幹部で年収一千万超の人もいるようだが、零細企業で食うにも困る人もいるのであって、そんなところも他業種となんら変わりない。

 ではその程度の収入が妥当なのか、というとそれはまた難しい。
 というのも、「他人の嫌がる仕事」という認識が薄れていく一方で、「危険のある仕事」という認識が強まってきているからである。
 葬儀社員の「危険」といえば、遺体からの感染症などのことであるが、前述の納棺師はもっともこの危険にさらされる業務である。

 なお、「納棺師」はこの映画では職業の一区分として登場し、実際にも存在するが、多くの小規模葬儀社では「納棺師」は社員の中での「役割の名称」でしかなく、専任ではないことが多いのではないか。
 私の勤め先でもその例に漏れず、社内で「納棺師」といえば私のことを指すようだ。
※ であるから、映画の驚きはただのヒガミかもしれないが…

▽ 技術料

 次に技術料という項目を挙げたが、これについては企業によって本当にまちまちである。
 よく掲示される項目の名称としては、「遺体処置料」「納棺処置料」「ドライアイス処置料」などが多く、仏教葬の「司会者」の料金も人件費というよりは技術料に近いかもしれない。

 現在日本には、厚生労働省認可の「葬祭ディレクター」資格というものがあるにはあるが、免許ではないし、なくても葬祭業を営むことができる。
 そういった意味でも、医師の免許や米国のフューネラルディレクター免許と違い、技術料を請求できるだけの根拠になるかどうかは判断が難しいのではないか。
 もちろん、各々の技術研磨の努力を否定するわけではないし、習得には金も時間もかかることは事実であるから、そのスキルを金銭で評価されてもいいだろうとは理解できる。
 しかし、私の個人的な意見としては、自分がプロとして仕事をする上でその仕事に必要なスキルを習得するのは当たり前でなければならないと思っているので、どうもしっくりこない。

▽ 施設使用料

 そして施設使用料であるが、これも企業によって取るところもあれば取らないところもあり、表示しないが上乗せしているところもある、というようにまちまちな状況のようだ。
 しかし、消費者ニーズからか企業の過剰サービスからかはともかく、葬儀会館は近年のまるでホテルのようなサービスを提供するところも少なくはなく、そういったところでは当然料金も高くなることは避けられない。
 会館は土地の取得費や建物の償却、水道光熱費やセキュリティー費、また管理者の人件費などさまざまに「見えない経費」が積み重なっているのであって、自社会館を持つ葬儀社にとってはそれをまかなうだけの金額を消費者に請求しなければ成り立たないのである。

 なお、自治体によっては公営会館(斎場)を設置しているところもあるが、概ねこれらの使用料金は葬儀社の会館に比べて安いことが多い。
 もちろんその分サービスが並だからということもあるが、住民のために設置されているので、税金などが投入されている場合があるということも覚えておきたい。

▽ 葬儀料金の比重

 さて、このように葬儀料金は物販とサービスの料金が相まって構成されているのであるが、それらの比重はどうなのだろうか。
 始めの方に書いたように、消費者の認識としてはそのほとんどが「物販価格」であるように思われるのではないかと想像するが、実際にはサービス料の方が圧倒的に多いというのが普通である。
 外食産業で採算が合う材料費率は40%以下だと聞いたことがあるが、葬儀料金の材料費(どこまで含むかにもよるが)は全体料金から見ると通常それ以下であろう。
 もっとも、小規模企業であればあるほど、この材料費率は高くなる傾向があるが、施設維持費や会社の維持費が少なかったり、仕入れを大量にできないので材料費を抑えられなかったりすること、また常勤雇用者を減らしてほとんどを専門の派遣企業に頼ることなどが原因の多くである。

 つまり、現代の葬儀料金は、どちらかというと物品に対する料金ではなく、サービスに対して支払っている、と認識する方が妥当だと言えるのである。
 そうであるからこそ、消費者の意識が物品の価格に向けば向くほど、消費者の不満が高まっていくことは非常に理解できるのである。

▽ サービス料は理解されるか

 そのような事情であったから、私の勤め先でも現在の商品(2006年4月〜2008年12月)を定める時には、「サービス料を明記するかどうか」で激しい議論が繰り返された。
 最終的にはベーシックパック内に「出張費・設営費」を記述することになったのだが、他の商品(生花など)にもサービス料を加算することが必要とされた。
 2009年1月からサービス料を全てベーシックパックに含めることに変更する予定であるが、未だに社内では「社会認知からすると時期尚早ではないか」との反論も根強い。
 現代の葬儀事情に対して比較的理解が前向きなキリスト教界だからこそ行える試みであるとも思う。
※ 上司や同僚には申し訳ないが、ほとんど私が主任権限で押し切った感がある。

▽ 関西の葬儀料金は安いのか

 少し横道に逸れるが、関西の葬儀料金は全国平均から比べて安いのだろうか。
 正確な統計は知らない(葬儀料金だけの比較がなかなか見あたらない)が、実感としては少し安いのではないか、と言われている。
 その大きな理由のひとつに、「香典辞退」の流行があるのではないか、という説が強い。
 用語集でも書いたが、どうやら香典を辞退することが増えているのは関西だけのようであるが、このことが葬儀料金に影響を及ぼしているようだ。
 全国版の葬儀関連書籍、いわゆるマナー本などの多くには、「葬儀における収入」という項目に「香典」を挙げている。
 単純統計に「香典返し」が含まれるために総額が増えることは当然としても、残額を葬儀料金の補助に充てることが可能な他地域に比べ、関西では葬儀料金を全て遺族がまかなう比率が高いために、負担が大きく金額が減少しているのではないか、というのである。
 もちろん香典辞退の是非を論ずるつもりはないが、料金に関連してひとつの面白い事象であると思うので紹介しておく。

▽ 葬儀料金は高いか

 さて、ここまでつらつらと葬儀社の料金事情を述べてきたわけであるが、では表題に戻って葬儀料金は高いのか、という問題に対して私は未だに答えていないことに気づいた。
 できれば答えたくないようにも思うが、ここまで書いた手前、無責任に投げ出すわけにもいかない。
 「葬儀料金は高いか」と聞かれたら、私の個人的な意見としては、「そんなもの、高いに決まっている」としか言いようがない。
 周辺料金を除いた葬儀料金だけでも、自分の月収の何倍もの商品を「安い」と言えるだけの度量は私にはない。

 しかし、こうして書いてきたように、業界にいれば高いのには高いなりの理由もあることを知っているので、それが悪いとは言い難いのも正直なところである。
 同程度の買い物に「自家用車」が挙げられるが、比較的長い期間に償却する自家用車と違い、葬儀は一瞬で「消費」してしまうので、より高く感じるのではないかとも思う。
 また、「高いから買わないか」というと、それはまた別の問題のように思う。
 どうやら世界には、棺だけで給料の何ヶ月分もの金額をかけたり、借金してでも盛大な葬儀を行うことが当たり前の国もあるようだ。
 それがいいかどうかは別としても、結局はそれぞれの価値観によるのであって、高いとも安いとも他者からは言えないのではなかろうか。

▽ どうすれば安くなるか

 ただ、現実問題としては一般家庭において葬儀が大きな支出であることは間違いない。
 将来的に全体の相場がどうすれば下がるのか、ということは若干考えておく必要があるだろう。
 ただし、「安いことが良いことだ」ではない、というのは再三だが言っておきたい。

 まずひとつには、「過剰なサービスを求めない」ことである。
 しかし、これは現在一部で騒がれているいわゆる「地味葬」志向を評価しているわけではない。
 例えば、先述の葬儀会館のホテル化なども、消費者のニーズが伴わなければ成り立たないのであるから、消費者が共通認識として過剰サービスを不要と思うことが重要である。

 また、米国のように葬儀社が24時間体制でない環境を社会が認知する、ということも考えられる。
 そうなれば人件費等の抑制につながるのであるが、これには医療機関や養老施設などの協力(朝まで霊安室等で安置できる環境の整備など)が必要不可欠であるし、日本では遺族がそれを待つ間落ち着かないことがほとんどなので、その意識の変化も必要だろう。

 ほかには、行政の取り組み(公営会館の建設や火葬場の料金補助など)が強化されることなども考えられるが、予算の問題や職員・地域住民の忌避意識などからなかなか進まないのが現状でもある。

 葬祭業従業者の数を適正に保つ(地域における死亡者数と従業者の比率)ことも重要である。
 それにより、待機人件費(仕事がないときの常勤者の給与)の業界総額を削減することができるのだが、競争が減るので、業界のモラルを前提にしなければならないのが難しい。

 葬儀社の規模と数を適正に保ち、安定を図ることも削減につながるが、上記と同じ課題が残る。
 現状でも価格を減少できる幅は、中小零細に比べて大企業の方が遙かに大きいのであるが、経済社会においてその取り組みを期待するのはあくまでも願望でしかない。

 なんにせよ、一企業の努力ではまったく足りず、業界と消費者が情報と認識を共有し、社会の意識が変化して初めて可能になることであると言える。

▽ キリスト教専門葬儀社は必要か

 社会全体で葬儀料金の低下を図るならば、もうひとつ考えなければならないのが、その地域における対少数宗教の「専門業者」の存在である。
 専門業者が存在する利点は、「特定宗教の専門理解が深いこと」「特定宗教のための備品等を所持していること」など言うに及ばないが、料金面からするとどうだろうか。
 確かに、同規模の一企業を見れば同系統の物ばかり仕入れる方が、多種を少しずつ仕入れるよりもコストが抑えられるのであるが、問題はその絶対数である。
 日本におけるキリスト教人口は0.8%程度だと言われているわけであるから、特定の商品は製造数が少なく、前述の量産によるコストダウンが望めない。
 従って、小規模にならざるを得ない専門企業は、物品を大量に流通させることができる大企業よりも、物品のコストパフォーマンスが悪いわけである。

 棺や霊柩車に「洋式」と呼ばれるカテゴリがあるが、大きくはイメージの問題であり、運用面では洋式も和式も機能が大きく変わるわけではない。
 そこで、これらが広く普及してくれば、物品の価格が下がることも期待できる。
 近年ではいわゆる「仏式くささ」に対する反発も増加してきているので、一般にも洋式の用具が用いられることが増えてきているのだが、やはり製造の絶対数は和式に及ばす、未だに価格は高いと言って良い。

 このように、「らしさ」か、「価格」か、という問題は往々にしてあるにせよ、理想だけ述べるならば葬儀社はある程度の規模で纏まった上、少数宗教に対しても学習を深め、高品質と低価格を両立させていくことが消費者にとっては益である。
 すなわち、キリスト教専門葬儀社は「良質が担保されるならば無くなっていくことが望ましい」というのが私見であるが、短い年月で実現されることは期待し難く、専門業者の重要性は当面減退することはないだろう。

▽ おわりに

 冒頭にもお詫びしたが、本当に纏まらない文章であったことを改めてお詫びしたい。
 とにかくこれでも現在の葬儀業界事情の一端でしかないのであるから、とてもこの紙面(画面だが)で語り尽くせるものではないし、私も全国の事情を調査できるような学者ではなく、一従業者であるから限界を感じる。
 私の努めは直近の消費者が満足のいく葬儀を行えるように手伝うことであるから、現状の最良を常に模索していかなければならない、という思いを日々新たにしなければならないだろう。


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