死の国の入口
▽ 探求心と不信仰
この仕事をしていると、時折ふと「死んでみたくなる」ことがあります。いえ、誤解のないように言っておきますが、自殺願望があるわけでも、臨死体験をしてみたいわけでもありません。
より正しく表現するなら、「人が死んだ後に行くその場所を、見て、感じて、理解したい」ということになるでしょうか。
大切な人を亡くしたとき、遺された人々はさまざまにその悲嘆を表します。
故人が自分を置いて逝ってしまったと泣き叫ぶ人、故人にもっと良くしてあげられたならと自分を責める人、故人が死後に良い場所に行けるようにと祈り続ける人、自分もいつかそこに行くから待っていてと故人に語りかける人…
しかしどの人も、故人はどこに行ったのか、今は安らかなのか、という問いは共通しているように思います。
これらのことを強く想う人々と交わる中で、私にはその問いに明確に回答することはできません。「キリスト教徒だから、天国に行ったのだ」ということは簡単ですが、しかし、それすらも私に答えられることなのかと迷うこともしばしばです。
このような時、私にもっと信仰が強く有れば、自信を持って「天国に行くんですよ」と言えるのかもしれないと、無いものを羨むこともあります。
しかし同時に、故人は、遺族は、それを望んでいるのだろうか、「どこに行ったのか」ではなく、「どこに行きたかったのか」と、全く逆の発想をしている自分も発見するのです。
▽ おばあちゃんはどこへ
これらを思うにつけ、未だに忘れられないエピソードがあります。
ある時、あるクリスチャンが亡くなったので葬儀を依頼したいという連絡を受け、そのお宅に向かいました。
亡くなったのはおばあちゃんで、晩年は病院通いで本人も辛かったろうとご遺族から聞きました。
当時はまだ私は主任ではなかったので、上司がご遺族との打ち合わせのために食堂に移動し、私はドライアイスの処置のために寝室に残りました。
ご遺族も食堂に移動したのですが、亡くなられた方の孫で幼稚園児ぐらいの男の子だけがその部屋に残り、私の作業を見つめていました。
処置も終わりかけた時、突然その男の子が私に聞きました。
「おばあちゃん、いつになったら病気治るんかなぁ〜?」
私は一瞬、質問の意味を理解できず、次の瞬間絶句し、また次の瞬間弾かれたようにこう答えました。
「おばあちゃんの病気はもう治ったんやで。
おばあちゃん、ずっと病気でしんどい、しんどいしてたやろ?
だから神様が、もうしんどい思いしなくていいよ、こっちで休み、って言って、天国においでおいでしてん。
だから、今はおばあちゃん、しんどい顔してへんやろ?」
この男の子はとても素直な優しい子で、それを聞いて、
「ふ〜ん、そっか〜、よかった〜、おばあちゃんもう治ったんや〜」
と嬉しそうにしていました。
私はこの反応を見て、「ほっ」としたと同時に、「はたしてこれで良かったのか」と強い疑念を抱きました。
私はキリスト教徒としてそう的外れなことはたぶん言っていない。
しかし、男の子は素直できっと私の言ったことをそのままに受け止め信じるだろう。
では、私はなぜ「おばあちゃんは死んだんだよ」と言わなかったのか。
子供が理解できないと思っても「死」を言葉にすべきだったのか。
それとも、私はこの子が「こうあってほしい」と望んだと思ったからそう答えたのか。
だとすれば、今後誰かから「故人は極楽に行った?」と聞かれても、「自然に還った?」と聞かれても、「そうだよ」と答えるのか。
それははたして正しいことなのだろうか…
▽ 知り得たならば
このことは、後々まで、いや、実に今でも、「葬儀社に勤める日本人のキリスト教徒」としての、私の心の課題のひとつとなっています。
だからこそ、その真実を知りたいと思うのでしょうか。
さまざまな場面で、遺族の悲しみに出会うたびに、私は語る言葉を失いかけます。故人がどこへ行ったのか、今は安らかなのか、それを知ることができれば、遺族に伝え慰めることができるのに、と強く思うことがあります。
ただ、もし真実を知ったからといって、必ずしもそれが良い結果であるとはかぎりません。
キリスト教徒の端くれとしては、天国での復活を信じていますが、もしかしたら、死の先には何もないのかもしれないし、地獄と呼ばれるものがあるのかもしれません。故人が誰かを恨んでいるかもしれないし、もっと生きたかったと悔やんでいるかもしれません。
だからもし、真実を知る時があれば、そしてそれが悪い結果であった時には、平然とウソをつく訓練もしておかなければいけないかな、とも思うのはナイショです。
もちろん、自分の行く先についても興味が尽きません。人は、自分の行く先を知ったとき、いったいどう思うのでしょう。
▽ 死の国の入口にて
出雲の国(島根県)に、「黄泉比良坂(よもつひらさか)」という場所があります。日本神話では「黄泉の国(死の国)」の入り口とされている場所です。
現在は、林の中にすこし開けた場所があり、そこに石碑が建っているだけ(しめ縄を張った石柱や伝説の石はありますが)の、ほとんど観光客もいない物悲しい場所です。
私がこの仕事に就いて数年経った20代の前半頃、当時の (T^T) 彼女と一緒に出雲に旅行したことがあります。
「行きたいところはある?」と見せてくれた旅行本をめくり、黄泉比良坂のページを見た途端、思わず「ここっ!」と言ってしまいました。
彼女は文句も言わずについてきてくれましたが、前述の通り寂しい場所です。遠く死の国に想いを馳せる私を余所に、「何が哀しくて、結婚前の若い二人が並んで死の国の入口に立たなければならないのか。もっと楽しい思い出を作りたいのに」と、彼女は内心理解に苦しんでいたに違いありません(と、今なら思います。ごめん)。
▽ 大空も、お墓も
近年、「千の風になって」という詩が大きな話題になりました。
日本でもたくさんの人が、宗教は別として「自然に還りたい」という想いを抱いており、さらに、死者がどこに行ったのか、それを強くイメージさせてくれるからだと言われています。
ただそれも全てではなく、お墓参りの習慣も強くあります。また、多くの家には仏壇がありますし、記念碑や慰霊塔も各地にあります。
これもまた多くの人にとって、そこに故人の魂や想いが在ると信じるからです。
もちろんどちらが正しいというわけではないでしょう。それぞれに大切な人の、そして自分の行く先を思い描いているのですから。
大空にしろお墓にしろ、大切な人を思い出し、語りかける場所があれば、それがその人にとっての「死の国の入口」なのかもしれませんね。