自殺は特別な死か


▽ はじめに

 自殺についての話題はこれまでできるだけ避けてきた。いやむしろ今でさえできれば避けて通りたいというのが本音だ。
 しかし死と葬儀について考える以上、いずれ避けては通れない問題である。現在の自分の考えを一部にしろまとめるだけでも今後に向けての意味があろうと期待する。
 なおこの稿においては自死という言葉は用いないこととしたい。統計資料との整合性もあるが、何より自殺という問題の根幹から目を背けているようで私はしっくりこないからである。殺すことはできても、命を取り去ることは人にはできない。

▽ 基本的な情報のまとめ

 近年報道などが増えよく知られているように、日本では1998年(平成10年)以降現在まで年間自殺者数が3万人を超え続けている。この間のピークは2003年の34,427人である。
 この1998年の前年にあたる1997年(平成9年)というのは、1990年(平成2年)頃に発生し始めたバブル崩壊の煽りを受けて金融機関などの破綻が相次ぎ、社会に大きく影響した頃である。また消費税が現行の5%に引き上げられた年でもある。このため実際に経済的なダメージを被ったり将来への不安感が高まるなどの理由により、自殺者数が押し上げられたと分析されている。
 政府は2006年(平成18年)6月、減る気配のない自殺に歯止めをかけるため「自殺対策基本法」を制定したが、現時点においてまだ目立った効果は現れていない。

▽ 自殺は増えたのか

 このような事情から近年の報道や啓発活動では「近年は自殺が大きく増えました」と言われることが多い。しかしこのことには別の視点から見ると若干の補足が必要であろうと思われる。
 次の表は1950年(昭和25年)から5年ごと、またくだんの1995年(平成7年)以降は2009年(平成21年)までの毎年の、日本全国における「総死亡人口」と「自殺者数」及び「総死亡人口に対する自殺者数の割合」の一覧である。

西暦和暦総死亡人口自殺者数自殺割合
1950S25904,87616,3111.80%
1955S30693,52322,4773.24%
1960S35706,59920,1432.85%
1965S40700,43814,4442.06%
1970S45712,96215,7282.21%
1975S50702,27519,9752.84%
1980S55722,80121,0482.91%
1985S60752,28323,5993.14%
1990H02820,30521,3462.60%
1995H07922,13922,4452.43%
1996H08896,21123,1042.58%
1997H09913,40224,3912.67%
1998H10936,48432,8633.51%
1999H11982,03133,0483.37%
2000H12961,65331,9573.32%
2001H13970,33131,0423.20%
2002H14982,37932,1433.27%
2003H151,014,95134,4273.39%
2004H161,028,60232,3253.14%
2005H171,083,79632,5523.00%
2006H181,084,45032,1552.97%
2007H191,108,33433,0932.99%
2008H201,142,40732,2492.82%
2009H211,141,92032,8452.88%
※ 総死亡人口及び1975年までの自殺者数は厚生労働省、1980年以降の自殺者数は警察庁のホームページ上に掲載された統計資料による。

 確かに1998年には自殺者数が前年比+8,472人、割合にして+0.84%と大きく増えているのがわかる。
 しかしこうして並べてみると自殺者数は1997年以前に比べて増えているとはいえ、総死亡人口に対する自殺者数の割合は波があっても3%前後とあまり大きく変動していないことに気付く。むしろ近年はピーク時より若干ずつだが減少に向かっているのである。

▽ 自殺対策のアプローチは正しいのか

 だからといってもちろん自殺を肯定しているわけではないし、仕方がないからあきらめようと言いたいわけでもない。自殺など当然少ないに越したことはない。
 気がかりなのは声高に多い多いと言うことで逆に社会不安を高め、より人々を追い詰めてしまわないかということである。自殺増加の有力な因子として鬱や経済的困窮に並び社会不安や閉塞感などが挙げられているにもかかわらず、自殺の増加のみを強調するアプローチは果たして正しいのだろうか。
 例えば「自殺者数は年々増加の一途を辿っています」と言うのと「自殺者数はいまだ高い水準にありますが、割合としては減少してきています」と言うのとでは、聞くほうにとってはどちらがより不安に駆られるだろう。

▽ 自殺は特別な死か

 もうひとつこのことに関連して気にかかるのは自殺者の遺族に対する影響である。自殺が増えて社会的な問題だと強く主張すればするほど、まるで自殺が社会悪かのように映り、実際に自殺した者の遺族にとっては自責の念を高める結果になりはしないだろうか。
 グリーフケアの観点からいっても、自殺者の遺族をあまりに特別視するならばそれは逆効果にもなりかねない。
 自然死、事故死、犯罪死、そして自殺であったとしても死はその全てが固有のものではないか。遺された者のグリーフは、その状況が似通っていたとしても全て固有のものではないか。
 グリーフケアにおいて「悲しみはそれぞれ」と言いながら「だから自殺の場合は」と真逆のことを語ってはいないか。「病死に比べて自殺の場合は悲しみが長引く」などと傾向ばかりを論じていないか。

 現代社会は本当に激しく病的なのだろうか。自殺は「有り得ること」ではないのか。自殺者の遺族を周囲が特別視することで、その人をより孤独にしてしまってはいないか。

▽ おわりに

 病死でも自殺でも、遺された悲しむ者にとっては自身の大切な人を失ったという点では変わりがない。ならば周囲ができることもまた、けして特別なことではないはずだ。
 自殺は「必ず結果が先にある」。起こった時点ではすでにそれを受け入れなければ前に進めない。ならば我々はその事実をどのように受け入れなければならないのか。
 思い悩むべきことはまだまだ深い。


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