死の国の入口


▽ 「死」の認識

「死は事実ではない、概念である。そう言ったのは霊長類学者である。死は認識されてこそはじめて意味をもつ。」

 『民俗小辞典 死と葬送』(吉川弘文館 2005)の前書きは、この言葉から始まる。
 正直、初めて読んだときこの意味を理解することができなかった。職業として葬送に携わる私にとって、目の前にある死はまさしく事実であり、また事実でなければならなかったからだ。

 当然、葬儀は死を前提として起こる。ここで言われている死は、虚構の死を含まない。例えば、芸能人に見られる引退を表明する意味での「生前葬」や、明治15(1882)年「高知新聞の葬式」またつい先日の「Internet Explorer 6 の葬式」などについては死が存在しないが、これはそもそも「葬儀」が本来的な意味を成すとは言い難い。
 せいぜい、考えられるとしても「行方不明者の葬儀」ぐらいであろうか。その程度に思っていたのだ。

 しかし、どうやらもっと想像力を膨らませなければならないらしい。この言葉の伝えたいことはそういうことではないのだ。
 そう思ったのは、雑誌「SOGI」を発行する表現文化社の碑文谷創師が、自身のブログの中で自死に触れ「吉本隆明が、海水浴中に溺れて意識を失った事故を振り返って、死ということを意識しなかった、と書いたが、私も自分の体験から本人にとっては単なる『移行』であるように思う。」と述べておられたのを見たときであった。
 自身の「死」は客観的認識に立つ喪失の体験ではない。なるほど、生から死へ変わるというのは、今日から明日へ変わるというただそれだけのことなのかもしれない。もしも時計がなかったら、建物の中で太陽が見えなかったら、私たちは「ああ、今、日付が変わった」と認識するだろうか。
 人の細胞は生死を繰り返し、一週間もあれば細胞的にはほとんど別人と言ってもよいのだそうだ。それでも、私たちはそのことで「過去の私たちが死んだ」とは考えない。聖書の「『内なる人』は日々新たにされていきます。(*1)」を引いて、「それは毎日滅びを経験しているということですね。」と言う人もまずいない。
 ではなぜ、今私たちがそれと思うものだけを「死」と呼ぶのか。そういうことなのだろう。
*1 コリントの信徒への手紙U 4章16節

 葬儀が死を前提とする、という認識そのものは間違いではないのだろう。ただ、より正確に言うならば、「葬る者は死の認識を前提とする」。つまり、死という「事実」を受けて葬るのではなく、「死んでいる」という認識の元に葬るのである。
 このことで思い出すのは、数年前に起こった死体「管理」事件だ。死体「遺棄」ではなく、「放置」でもない。医学的には死亡した人を、家族が「生きている」としてきちんと世話をしていた、という事件である。
 悪質な宗教団体が関わった事件もいくつかあったがそれらではなく、自宅で死亡した家族を丁寧に世話し、1年近く経ってもきれいな状態のままだったという件である。あいまいな記憶だが、この件は死体遺棄罪やその他の罪に問われなかった。日本には葬送の義務を定めた法律がないからだが、この事件の重要な点は、「家族にとってその人は死んでいなかった」ことだろう。
 現在の社会において、医学的な死が人の死であるということは十分に共同認識として成立しているとは言えるが、そうでない社会もありえるわけだ。

▽ 不死の民

 『神道の聖典』(すずき出版 1993)という本の中で、語り手である國學院大學教授の上田賢治師が興味深い考察をしている。
 日本神話における「黄泉の国」は暗く汚いというイメージがあるが、これは後世の学者の誤解であって、神話を素直に読み取れば、「顕世(うつしよ=目に見える世界)」と「幽世(かくりよ=目に見えない世界)」の違いこそあれ、中身はこの世と何ら変わらない世界なのだという。
 また、特にプロテスタントが神道に対して「神は唯一絶対だから、人が死んで神になるのはおかしい」と言うのは、言論の前提に自分たちの「神」という語を持ってきているからであって、本来の神道(上田師は「古の道」と呼びたい、と述べている)における「神」とは、「自然の働き」そのもの、つまり雨や風が神なのではなく、「雨が降る」「風が吹く」という「働き」が神なのだ。だから、キリスト教の神を神と訳したこと自体が誤りの元であった、と述べている。
 そして、全体を通して読み取れることは、神道は現在でこそ宗教の地位を与えられているが、本来は宗教と呼べる性質のものでなく、日本・日本人という共同体を存続させるための理念やルールであったのだろう、ということである。

 神道における「死」は、超越者の意志によるものではない。自然の摂理である。人も死ぬし、神も死ぬ。人と神はまったく別のものではない。そして、死んだ後は別の形、すなわち祖霊や自然の「神」として自分たちの共同体に関わる。
 さらに、「穢れ」を「汚い」と解釈するのも西洋思想であり、本来は「共同体が傷つく」こと。ケガレは罪、ツミは「慎み」で、死に触れたものが穢れて共同体へ参加しないのは、身を慎んで傷の回復につとめるためだった。
 つまり、避けるべきは「死」ではなく「共同体の崩壊」なのであり、古の道は共同体を守るための考えなのである、と上田師は考ているようである。

 古い日本人は「個人の死」を、西洋のように強く考えなかったのではないか。それはまさにこの世からあの世への「移行」でしかなくて、今日まで家で顔を見せ合っていた家族が、明日からは旅先で手紙をやりとりする、そういう関係の変化でしかないと捉えていたのではないか。
 死が概念ならば、個人の死は死でない。共同体の死が全体の死である。もしそうだとすれば、ある意味において古の日本民族は「不死の民」である。
 共同体が滅びない限り、我々は滅びない。今でも日本人はこの感覚を持っているのだろうか。

 現代において、日本でも海外からの影響で「死生観」という語が普及しつつある。学問も持たれつつある。しかしこれらも当然、「個人の死」を前提にしているだろう。
 私たちは日本人でありながら、本当の意味で「日本人の死」を捉えきれるのだろうか。

▽ おわりに

 人はなぜ死者を葬るのか。

 私は死ぬ。私たちは死なない。
 だから、私たちは葬るのかもしれない。


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