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遺影 いえい
 故人の写真のこと。一般的には葬式用に四つ切りや半切程度のサイズに引き延ばしたものを指すが、スナップなどでも遺影と呼ぶ。必ずしも葬式に必要なものではないが、会葬者のために用意されることが多い。
 昭和の初期頃一般にも普及し始めたと言われている。元々は戦争などで故人の身体が帰ってこない場合に、代わりに写真で葬儀を行ったのが一般化したという説もある。明治34年の福沢諭吉の葬儀では早々と遺影写真らしきものが用いられたらしい。
 キリスト教葬儀では礼拝の対象は神様なので、遺影はあまり大きく扱うことをせず、また遺影に手を合わせたり拝んだりはしない。しかしこれをあまり強く主張するとクリスチャンでない会葬者らの感情を傷つけてしまうことがあるので注意を要する。
→関連項目 解説と思索:柩と遺影の配置

御礼 おれい/おんれい
 ここでは葬儀に際しての牧師やオルガニストに対する謝礼のこと。会葬者に対する御礼は「立礼」や「会葬御礼品」を参照。
 (あまりこういう表現はしたくないが)通常、現金で表される。封筒の表書きは「御礼」や「感謝」とすることが多い。献金とは別のものであるが一般の人は混同しやすい。
 なお金額についての問い合わせが多いが、葬儀社の立場としてはお答えしかねることをお詫びしておきたい。

教会 きょうかい
 一般的にはキリスト教に限らず宗教施設全般の称。キリスト教の場合「礼拝堂を含む建物」を指す場合と「信徒の集まり(コミュニティ)」を指す場合がある。

献金 けんきん
 神様への感謝の献げもののひとつとしてお金を献げること、またその献げられたお金のこと。教会では毎礼拝で献金(席上献金)をしたり、毎月の献金(月定献金)をしたりする。
 葬儀の時にも、主の御恵みに感謝して、遺族から教会へ献金が献げられることが通例。ちなみに献金は教会を通して神様に献げられるものであるが、一般の人は「牧師に」差し上げる御礼という感覚が強いこともあるので、適宜説明を要する。
 なお金額についての問い合わせが多いが、葬儀社の立場としてはお答えしかねることをお詫びしておきたい。

心付け こころづけ
 葬儀の準備や運営などに携わった人に、料金のほかにあげるお礼(おもに金銭)のこと。海外で言うところの「チップ」で、ほかに「寸志」や「不祝儀」などとも呼ばれる。
 対象は火葬場の職員、霊柩車等の運転手、花屋さん、着付師、料理屋さん、仏教葬では司会者など「葬儀に関わる人々全般」という曖昧なくくりで、金額もまちまちである。このうち火葬場の職員に関しては近年「公営火葬場の職員が給与外の金銭を受け取るのはいかがなものか」という批判が強まり、阪神間の火葬場では心付けを受け取らなくなった(はずなのにこっそり受け取っていて事件になった)。
 慣習的に古くから行われていたが、近年ではしない人も多い。本義は「遺体に触るなど人の嫌がる仕事をしてくれたお礼」というようなものだとも言われているが、現代のように職業として葬祭業が確立している時代には確かに必要ないかもしれない。
 なお一部の葬儀社には未だに心付けを料金のように要求するところがあるらしいが、あくまで「感謝の気持ち」なので、支払いたくなければはっきり拒否するべきである。

故人 こじん
 死者のこと。遺体のことではなく、人そのものを指して言う。
 宗教者によっては「故」という字を嫌う(人の生死は神様の計画によるもので、この世的な故=理由で死ぬわけではないということのようだ)人もいる。ただ語源としては「縁故」、つまりある人にとって関わりのあった人という意味ではないかと私は考えており、それを示すように二人称として用いられることが圧倒的多数である(普通、不特定多数を指して「故人たち」とは言わない。「死者たち」である)。

祭壇 さいだん
 葬儀業界では、式場内の柩周りの飾りのこと。キリスト教教会葬でも適当な表現がないため慣用的に祭壇と呼ぶことが多い。
 なお礼拝堂の奥の一段高いところを祭壇と呼ぶこともあるが、プロテスタント教会では「講壇」「聖壇」などと呼ぶことが多い。

散骨 さんこつ
 遺骨を山・海・川などに撒くこと、またその葬法。「自然葬」と呼ばれることもあるが、これは「NPO法人葬送の自由をすすめる会」における散骨の固有の名称。
 近年非常に強い注目を集め希望者も多いが、実は墓埋法では散骨は想定されておらず、法律上の可否は明確には規定されていない。そのため行政の報告書でも「禁止はされていないが相当の節度を持ってすること」という見解に留まっている。したがってどこにでも撒いてよいというわけではなく判断が難しい一面もあり、希望者の多くが実施するには至っていない。
 なお散骨の際に撒いた遺骨の上に土をかけると「埋蔵」となり、墓埋法の規定に従わなければならくなる(焼骨の埋蔵は墓地以外にしてはならないので違法になる)ため注意が必要。
→関連項目 解説と思索:散骨

謝礼 しゃれい
→御礼

精進上げ しょうじんあげ
 葬式後に持たれる会食のこと。仏教葬の用語だが他でも慣習的に言うことが多い。
 近年関西では火葬中(骨揚げを待つ間)に行われることが多い。

召天 しょうてん
 「キリスト教徒の死亡」を表現する語。「天に召された」という意味で言う。
 おもにプロテスタントで用いられるが全てではなく、教派によっては「眠りについた」と表現するので注意。
 なおウィキペディアではこの語に対しての批判も紹介されている(「昇天」の項にて)ので参考にされたし。

寸志 すんし
→心付け

弔辞 ちょうじ
 葬式において、故人と親しい者などが故人との思い出や証しを語ること。
 キリスト教葬儀では遺体や遺影を通して故人に語りかけるのではなく、遺族や会葬者に対して故人の思い出などを語るものとされているため、前(祭壇向き)ではなく遺族や会葬者の方を向いて述べる。

弔電 ちょうでん
 弔意を表すために遺族に送られる電報のこと。「お悔やみ電報」などとも呼ばれることがある。
 近年は電報電話局だけでなくいくつもの会社がサービスを提供しており、商品の種類も多い。

不祝儀 ぶしゅうぎ
→心付け

牧師 ぼくし
 キリスト教のうちプロテスタント諸派の教導職の一般的な称。教師、教職などとも言う。しかし直接的には「先生」と呼ばれることがほとんど。

放り込み ほうりこみ
 現在で言う「直葬」を、その言葉が流行る前に指した葬儀業界の隠語のひとつ。何も(葬式を)せず火葬場に放り込む、の意。
 仮に直葬ではなくこういった悪いイメージを抱かせる名前が広がっていたら、現在拡大している直葬問題はずいぶん違った様相を呈していたかもしれないと、ふと思う。

枕飾り まくらかざり
 通常、仏教葬で遺体の枕元に置く、経机(小さい机)・具足(香炉など)・線香・ロウソク・樒・位牌などの一式のこと。枕花を含んで言う場合もある。
 プロテスタントでは枕飾りというものはないが、一般葬儀社では小机・十字架・聖書・燭台・ロウソク・枕花などを「キリスト教式枕飾り」として販売しているケースも多いようだ。もちろん、料金はしっかり取られるので、不要と思えばそう言った方がよい。

枕花 まくらばな
 自宅などで遺体の枕元に置く花のこと。
 花瓶に立ててもよいが、遺族が用意するならば、花屋さんに籠でアレンジにしてもらうと便利。なお、必ずしも用意しなければいけないということはない。
→関連項目 供花

立礼 りつれい
 式の終了頃、具体的には献花の後などに、式場の出入り口などで遺族代表者が退場する参列者に対し礼をするために立つこと。
 教会は葬儀会館と違い出入り口に広いスペースがないことが多いので、喪主のみか、直近の遺族数名であることが多い。状況によっては出入り口ではなく式場内の柩の横などで立礼をするケースもあるが、参列者と遺族代表者が丁寧に挨拶を交わしていると献花の列が渋滞しやすいので注意が必要。
 仏教葬儀でも焼香の際に立礼に立つことがほとんどで、キリスト教葬儀でも違和感なく行われてはいるが、遺族代表挨拶と二重になっていることや、教会においてはスペースや時間などの実務上の問題点も多いことから、今後も一様に持たれるべきかは一考の余地があるとも思える。
 なお「立」礼とは言っても、遺族代表者が高齢であったり足腰の健康を損なっている場合などには、椅子に座ったままで礼をすることももちろんある。

礼拝 れいはい
 礼拝は一般語だが、キリスト教会で言う場合は当然にキリスト教における神への礼拝である。
 単に「礼拝」と言うときには「主日礼拝(聖日礼拝)」を指すことが多いが、もちろんそれだけでなく葬式なども礼拝である。
 なお基本的に「礼拝」と言うのはプロテスタント教会。(カトリックでは「ミサ」など。具体的な意味は若干違うが)

勿忘草 わすれなぐさ
 よく知られている野花の一。小さな、いわゆる「雑草」に類する花で、そのため祭壇などに飾るわけではないが、花言葉が「私を忘れないで」「真実の愛」などのため、葬儀でも追憶の花として好む人は少なくない。
 …というのは本当だが、ここに書いたのは単純に「わ」行の項目が思いつかなかったからである。



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